身延山五重塔寄付報告と御礼
平成17年12月号・308号

      身延山五重塔寄付報告と御礼

 本年もあっという間であった。酉だ、酉だと騒いでいた正月。月日が経ち12月に入って、「はて今年は何年?」とすっかり忘れてしまっている。正にニワトリ。全く恥ずかしくなる。皆様には今年の1年は如何?小衲同様、何か慌ただしく過ぎ去ったと感じたのではないか。
 さて、今年の始めに五重塔建設勧募の依頼で身延山より担当者が来寺した。その後、総代世話人会でこの件を検討。その結果を今年3月の護持会報で、檀信徒皆様に総本山身延山五重塔建立浄財寄付のお願いをお伝えした。
 法話箋で寄付者ご芳名をお知らせしたように、大勢の方々にご協力を頂いた。心より厚く御礼申し上げる次第。
 現在、204名の方々から合計1,582,000円のご寄付をお預かりしている。皆様の総本山身延山への報恩感謝の表れであろうと今更ながら感じさせられた。
 寄付の勧募期限は護持会報でもお伝えしたように今年の12月31日。もしご協力いただける方は今月末までにお願いする次第。来年早々には寄付者の名簿を整理して総本山身延山に持参する予定でいる。
 身延山は明治8年の大火で七堂伽藍を消失した。五重塔は実に130年ぶりの建立になる。総予算は20億円。完成は平成20年を予定している。
 菩提堤を登った左手、大本堂の前側、お水屋があった位置に建立される。(イメージ図参照)来年春には地鎮祭が執り行われる予定。完成までは3年を要するが、身延山参拝折り、どのくらい工事が進んだか見るのも楽しみなものである。 いずれにしても五重塔建立に対するご協力に重ねて心より御礼申し上げる次第。

      未来際までも心は身延山に可住候       日蓮聖人御遺文  
戻る    ホーム
お会式(延年講・酉の市)
平成17年11月号・307号

     お会式(延年講・酉の市)

 檀信徒皆様にはお会式にご参詣下さいますようご案内申し上げます。
 夜の万灯まとい行列は藤枝市の宗伝寺様、粋華(纏同好会)、沼津市の蓮窓寺様、昌原寺様、法華寺様が参加します。
       記
○期  日     11月3日(文化の日)
○お会式法要   午後3時 〜 午後4時
○酉の市祈祷   午後1時 〜 午後2時半
         午後4時半〜 午後8時
○福   引    午後1時 〜 午後8時
○万燈行列     午後6時 〜 午後8時半

11月4日 片づけ奉仕にご協力を
 お会式翌日の4日、午前9時より片づけを行います。ご都合のつく方のご協力をお願いします。午前中で終了予定。
 
お会式特集(11月3日に向けて)
 10月9日は沼津蓮窓寺お会式参加31名。12日は東京池上本門寺お会式参加29名。23日には久遠の松しめ縄作り。26日は纏太鼓練習。27日は沼津昌原寺お会式参加19名。30日は準備、餅柱製作、纏太鼓練習。その他に行列の打合せ、市役所や商店街、粋華(まとい同好会)との打合せで10月は忙しい日が続いた。これらの行事をこなすのも参加各位のご協力の賜。その様子は下手な文章より写真の方がよっぽど正確に伝わる。
 本番は11月3日。大慶寺の行列参加者は50人を超える。宗傳寺、蓮窓寺、法華寺、昌原寺、粋華、地元商店街の協力で総勢200名を超える行列。是非ご覧を。




  10月9日(日曜日) 午後7時
        沼津市松長 蓮窓寺様お会式参加   31名
今年も蓮窓寺様のお会式から講中の活動が開始です。住職は大慶寺お会式の時は行列に参加できませんので、この時は喜んで行列に参加します。 



  10月12日(水曜日) 午後6時30分頃          午後7時15分頃
           東京池上本門寺お会式参加   29名
今年は数年ぶりに池上本門寺のお会式に参加しました。午後1時に大慶寺出発。池上着午後4時半。早めの夕飯を食べて、午後6時15分過ぎに徳持会館前を出発。大堂着7時30分過ぎでした。藤枝着は13日の午前0時半頃でした。お疲れ様でした。 



   10月23日(日曜日)        10月30日(日曜日)
   久遠の松しめ縄作り         しめ縄を久遠の松に取り付け
    (壮年会製作)



  10月27日(木曜日) 午後7時
             沼津市原 昌原寺様お会式参加   19名
今年から27日に変更になりました。昌原寺様のお会式参加です。この頃になるとだいぶ太鼓、纏の調子も良くなってきました。もちろん住職も行列に参加です。 




 11月3日 大慶寺御宝前(昨年お会式)     酉の市熊手売り場 (昨年お会式)

       今年も盛大に行います。どうぞお出かけ下さい。

 
  横4p、縦6pの「お会式・延年講」飴袋を行列時に沿道の皆さんにをお配り致します。



   御命講や油のやうな酒五升 芭蕉  注 御命講=お会式    心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
百年後 ほとんど死んでる 今の人
平成17年10月号・306号

 盆、彼岸があっという間に過ぎ、寺では11月3日のお会式・延年講・酉の市の準備が本格的に始まった。また、例年ではあるが9月には敬老の日があり、静岡新聞に100歳以上の県内長寿者が発表された。なんとその中に檀家さんがいるのだ。御年102歳の女性。益々のご壮健を祈る次第。
 それにつけてもここ数年盆、彼岸で思うことがある。お宅に伺ってお経をあげる時、後ろで座って頂く場合が多い。そんな折り、高齢者の方が足の痛いのを押してお座わりになっている場合がある。寺の住職が来たのだから正座をしなければと気を遣っていただけるのは本当に有り難いが、足や膝をよけいに悪くするのではと気にかかる。
 考えてみれば、どなたも長い間、自分、家族、社会のため働いてきた人達である。若いときから体を無理して使い、長い間働いて来たのだ。そうであるから、どうぞ今は足腰を労りお楽にお座り頂けたらと思う。その点お願いする次第。
 一方、若い方、熟年の方には逆に正座をお願いしたい。まだまだ気を張りつめる、威儀を正すことが必要な時期。楽に座るのは足腰が弱くなってからでいいのではないか。若い時は若い生き方、熟年の時は熟年の生き方、年をとってからは年をとっての生き方があるはずだ。
 子供が生まれれば自動的に親になる。そこから親がどうあるべきかの勉強が始まる。最初から立派な親などいない。
 同様に最初から立派なお年寄りはいない。年をとってから始めてお年寄りが始まるのだ。体が動かなくなるのは自然なのだから、昔の自分と比較してもはじまらない。それより今の状況でどういう生き方がよいかじっくり考えることが必要だ。聞けば今年も平均寿命が延びたそうだ。まだまだ長い生活がある。死ぬまで働くことも場合によっては必要だが、死ぬまでにしなければいけないことも多い。自分の晩年をよりよく過ごすことを考え、自分の考えを見直すこともその一つ。
 新聞の川柳に「百年後 ほとんど死んでる 今の人」と。うーん、確かにそうだ。誰も知っている人いないものなあ。よけいに今の自分をもっと見つめよう。

         感 動 が 心 を 変 え る 。    心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
この前の台風から学ぶこと
平成17年9月号・305号

 8月25日の台風11号。寺では台風が近づくといつも心配事が二つ。風で久遠の松の枝が折れないか。雨で葉梨の蓮久寺の山は大丈夫か。戦々恐々として見守った。
 夜の7時頃心配で松を見上げた。上の方がかなり揺れている。一抹の不安を抱きながら部屋で台風情報を見ていると異変が・・・。
 「大変だ」の声で外に出てみると大きな枝が折れて落ちていた。直径30p以上、長さは5b以上。これは大変だ。これ以上折れなければいいがと思いつつ、暴風雨の中、何が出来るわけでもない、明日を待つしかないと滅入った気持ちで床についた。
 翌朝お勤めをすませ朝食もそこそこに後片付けに取りかかった。大人2、3人で動かせる枝ではない。どこの枝が折れたのかと見上げると松のかなり上の部分。なんてこったと思いつつ、朝からの猛暑の中作業を始めた。のこぎりでは埒があかない。チューンソーを持ち出し切り始めた。結構重労働だ。ふと周りを見ると、すぐ近くに三光堂の門・・・。沈黙数秒。そうか、そうか、もしかしてこれは運が良かったんだと合点した。
 実は今年早々、門を2bほど三光堂側に移動した。そのおかげで、松の枝が落ちても門にぶつからなかったのだ。以前のままだったら、枝の片付けだけではなく、門も修理しなければならなかった。そうかと妙に気が楽になった。
 起こった事象は一つでも人のとらえ方は様々だ。そのとらえ方によって悲しくなるときもあれば、そうでない時もある。同様に身の回りのいやなこと。少し角度を変えると違った見方ができる。一つの事象が我々の気持ちを左右するのではない。我々のとらえ方で気持ちは変わるのだ。



  失ったものをなげくより、残されたものを生かそう。    心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
食育基本法って知ってますか?
平成17年8月号・304号

世界の全食糧の八十%を世界人口の二十%の先進諸国の人たちが食べ、残りの二十%の食料を世界人口の八十%の開発途上の人たちが食べるという現実世界。そんなことを頭の隅において、毎日食事をしていると、戸惑うことがある。
 コンビニ等で、いとも簡単に廃棄処分になる食べ物。どう考えても食べきれない程出る料理。残飯のゴミの山。なんと後ろめたいことか。
 そんな中、食育基本法が制定された。食育?教育の間違いとも、冗談だろとも思ったが本当だった。
 食育基本法は平成十七年六月十目に成立したほやほやの法律。
 その総則に「食育の推進に当たっては、国民の食生活が、自然の恩恵の上に成り立っており、また、食に関わる人々の様々な活動に支えられていることについて、感謝の念や理解が深まるよう配慮されなければならない。」とある。
 数十万年という本当に長い人間の歴史の中で、食料に困らないのはほんのここ数十年だけ。いうまでもなく食料確保に困っていた時代の方がずーとずーと長かったのである。食料確保が困難だからこそ、そこから自然の恵みや様々な人への感謝する気持ちはごく自然に生まれた。
 しかし事態は一変。なんといっても充分な食料がいつもある今の環境。こうなると本当の問題は、生まれた瞬間から充分な食料が与えられている世代が誕生してきていることだ。これは人類史上初のこと。いつでも容易に手にはいる状況は、彼らから自然の恵みや感謝などの感覚は失わせた。実にこれは誠に由々しき問題。
 複雑化する社会の中で、その複雑さの糸をほぐして、その先に見える基本的なことを学び直すことがいずれにしても必要だ。地球、自然、太陽、水、人。法律だけではなく各家庭でも考え直そう。

       微笑みにまされる化粧なし。     心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
分 別ゴ ミ
平成17年7月号・303号

 今年の四月より藤枝市でもゴミの分別収集が始まった。燃えるゴミ(花、枯葉)、雑紙(包装紙等)、容器包装プラスチック(トレイ、ビニール包装紙等)の分別が必要となった。そこで墓地のゴミ箱も三種類を準備(写真参照)。少々心配したが参詣者の協力を概ね頂いている。「これは何処に捨てるの」程度の小衲にとっては皆さんのご理解の程が伺える。
 さて、盆月に入った。七月、八月は特にお墓参りが多い。ここ数年の傾向としてお墓参りに来る方が増えている。特に若者が多いのが特徴だ。
 人の命を軽く見る事件が増えている昨今、先祖、親は関係ない自分だけよければいいんだという考え方が一方では吹聴されているが、またその一方では、両親、祖父母、先祖のお墓にお参りする若者が増えているのも事実だ。皆さんは「へえ・・・そうなの」と思うかも知れない。
 気持ちがあれば形はなくてもいい。お墓の前で手を合わせる必要など無いと言う。果たしてそうか?
 小衲も毎日、本堂で朝勤するが、本堂といういわば一つの形に入ると、その荘厳さの中で真剣さが自然と生まれる。いって見れば形は人をその気にさせるのだ。正直、人は理論や理屈だけでは決して動けない。我々の言葉や態度は理屈に武装されているが、よくよく突き詰めると情感、感動が行動の原動力になっている。形はその我々の情感に訴える。それゆえ形は必要なのだ。
 妙に美化された理屈や損得感情を抜きにした、真実か否かいう基準で物事を計れるような時代。言ってみればお墓参りはいいものだという価値観が認められるような社会になれば、今よりずっと良い社会になるのであろう。若者のお墓参りという行動には自分の位置の確認と確認後の感謝の気持ちが見て取れるのである。



      
          仏とはさとれる人間 人間とはまよえる仏。 心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
永代供養墓完成
平成17年6月号・302号

 数ヶ月ぶりに通った道がすっかり様変わりしている時がある。あるべき建物が無く、新しい店ができている。時の流れ、人の流れ、そして少子高齢化、離婚等と社会構成そして家族構成まで急速な変化を迎えている。
 そうした現代、檀信徒の皆さんから前々から相談を受けていた永代供養墓が完成した(写真)。先日永代供養を申し込みされていた三軒のお宅のお骨を安置した。
 データを調べてみた。平成14年に発表された国立社会保障・人口問題研究所「都道府県別将来推計人口」によると、静岡県の人口は、平成42年(2030年)には333万人となり、平成12年(2000年)より43万人減少、減少率は11.6%。急速に少子高齢化が進む。
 国の総人口は、平成15年(2003)で約1億2762万人。このうち、65歳以上の高齢者人口は約2400万人。総人口に占める割合(高齢化率)は19%。平成27年(2015)には26%。実に4人に1人が高齢者に。いよいよ団塊の世代が仲間入りだ。
 一方で、総人口は平成18年に(2006)年にピークを迎え、その後減少に転ずる。そう、来年が人口のピークなのだ。
 また、平成14年の静岡県の離婚件数は7987組で、離婚率(人口1000人対)は2.14人。
 高齢化世帯、1人暮らし、後継者無しの家、離婚等による家庭環境の変化。
 将来自分の行き場所が定まらない、今の状況をどのように整理したらよいか等、生活、墓に係わる相談が増えている。墓の形態は時代の流れと共に変化してきた。その意味では永代供養墓も正に時代の流れなのかもしれない。詳細はお気軽にお問い合わせ頂きたい。



      
        笑顔は回りを明るくする。      心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
不安定な・・・。これで良い時代?
平成17年5月号・301号

 今の世の中何が起こっても不思議ではなくなってしまった。
 JR尼崎事故の事故。百六名(四月二九日現在)になる犠牲者を出した。予想もしない突然の死。いつも通りに仕事、学校に出かけ、何か不手際をした訳でもはない。それなのに突然襲う不幸。本人の無念さ。また遺族はどのようにこの事実を受け止めればいいのだろう。
 田舎の藤枝でもそんな物騒なことはないだろうとちょっと前まで考えていたが、我々の回りでも窃盗、傷害等事件が日常化している。
 一方ではライブドア、フジテレビ、日本放送の買収劇。いとも簡単に億のお金が行き来し、決着してみればマネーゲームの感がする決着。最近、何か変だと感じさせる事件、騒動が続いていないか。決して良い方向には向かっていないのを裏付ける事件が続いていないか。
 この不安定な時代。あれこれ思いをはせるにつれ、いよいよ現代資本主義の限界を感じさせられる。資本主義が本当に人間の生活の平安を実現させるのか?欲望を満たすことができても平安をもたらしてくれるのか?
 正直、ソ連の崩壊や今だけの生活を見れば、日本人の多くが今の資本主義は良い制度で、これに代わるものはないと考える。とりあえず衣食住にはそう困らない時代になったから、今はそう思って当然だ。
 それでもいつも思うことがある。
 自分で自分のことはわからない。第三者から言われてはじめてわかることがある。それと同様に、百年後の世界の人々は、昔の人(今の我々)はなんとおろかな資本主義というシステムを信奉していたのだろうと考えるのではないかということ。
 とにもかくにも十年先がどうなるか誰もが予想できない時代。不測の事態は何時でも起こりうるということを前提に生活することが必要だ。スピード、便利の裏返しは思いの外大きいのだ。
 どんな不測の事態が来ようと、何が自分にとって一番大切か、幸せかを世間の尺度ではなく、自分の生き方の中で見つけ、毎日を悔いなく生きることが求められる。

       ここは似ろ、ここは似るなと子を思い。    心伝える日蓮宗
戻る    ホーム
思えばよくここまで来たものだ
平成17年4月号・300号

 なんと今月号で第三〇〇号となった。毎月一回、一年間で十二回。二十年間で二四〇回、二十五年間で三〇〇回となる。実際は荒行堂に入っている時は発行していないので、二十五年と六ヶ月になる。
 考えてみれば、発行している本人がここまで続くとは考えてもいなかった。おかげで続けることの難しさ、継続することの大切さを学ばさせてもらった。
 今から二十五年前、月末になると手書きで宛名を書いていた。原稿を作るだけでも頭が痛いのに毎月の宛名書き。半年も経たないうちに負担になってきた。何かうまい方法がないかといくつか試みたがうまくない。
 そんな時、タックシールのダイレクトメールが送られてきた。本来は手書きで出したいが、毎月のこと、宛名がタックシールでも許してもらえるかもとパソコンをかじりだした。もともとパソコンに興味があったわけではない。
 はっきりいえることは法話箋を発行していなければパソコンをいじることがなかった。必要は発明の母というが正にその通り。お陰でパソコン歴も約二十五年となり、そこそこ自分のイメージ通りにパソコンを扱える。
 寺での様々な文書やホームページ、メール等、お寺の事務、運営にパソコンは大いに貢献してくれている。何より有り難いのは事務の効率化で時間を生み出してくれ、手仕事時代と比べると明らかに二倍の仕事量をこなせることである。勤行、朝食の後の日課は、パソコンの電源を入れ、メールをチェックすること。これが午前七時過ぎ。仕事の始まりである。
 さて、今月号は今までの法話箋と見た目が違うとお感じかも知れない。実は三〇〇号を機会に法話箋を一新、プリンタの性能も向上したので寺で印刷するようにした。カラー印刷、写真、図なども今後取り入れていきたい。但し、インクジェット紙のため、ハガキ厚が以前ほどないがご容赦頂きたい。
 それにつけても小林印刷さんには、この面倒くさい仕事を長年おつきあい頂いた。心より御礼申し上げる次第である。
戻る    ホーム
リーディンググラス
平成17年3月号・299号
 恥ずかしながらはじめて聞く言葉。リーディング?なんのこっちゃと調べてみるとLではなくRのリード、「読む」のリーディングで「読むメガネ」のことらしい。
 訳せば読書用眼鏡、手元用眼鏡で、いわゆる日本語では老眼鏡がこれにあたる。そう、老眼鏡を英語ではリーディンググラスと言うそうだ。
 欧米では老眼鏡という呼称のジャンルは無く、リーディンググラスと呼ばれるらしい。しゃれているというよりも、年令を基準しないところが欧米的かも知れない。欧米的考え方を積極的に真似るのは好きではないがなるほどと納得する時もある。今回はそれだ。
 以前シニアグラスという言い方が流行ったがいつの間にか聞かれなくなった。これも考えてみれば、年令を基準にしてシニアとつけたのだから老眼鏡と似たようなものである。老にせよシニアにせよ年令が基準になっている。やはり日本英語か。
 高齢化社会、老眼鏡、老害、老人虐待、老人福祉、老人医療、老人会等々老の字が生活の中にたくさんでてくるので、高齢者は自分が老人であることを自覚するどころか、さぞかしうんざりしているのではないか?
 今までにない高齢化社会。今の状態はごく普通と考えがちだが、歴史上いまだかってないことであり、誰もが経験したことのない社会である。だから、今までにない諸々の社会現象に対し、今までの言葉を使って的確な表現をするのは難しい。近い表現はあっても正確に表せないし、言葉にやさしさがない。とするならそれに相応しい表現方法があってもいいのではないか。
 年を重ねれば老となんでも昔の表現でひとくくりにされては、わかっているが昔の老とは違う、いい加減してくれという声が聞こえてきそうだ。
 今までの枠組みの中では収まりきらない今の世の中。先月号に書いたが、ちょっとはみ出したくらいの考え方をもたないと今の社会を適切で深み、やさしさがある言葉で表現するのは難しいのではないか。そこで暫定的にリーディンググラスもいいのではないか。
戻る    ホーム
片足踏み出すぐらい
平成17年2月号・298号
 「海外では無国籍料理が日本料理としてまかり通っている」と日本料理の乱れを指摘する京都老舗料理店を経営する高橋英一さんが言った言葉。
 本当の日本料理を伝えたい、京都の三百年続いたその秘密は「質素に地道にやってきた。それと同時に伝統を踏まえた上で革新していくことが大事なこと」と言う。必ずしも昔からの方法を守るだけではない。
 日本料理で一番大事な基礎であるだしさえも自らの代で改革しカツオの代わりにマグロの削り節でとる。
 「片足をちょっと踏み出すぐらいはええけど、はみ出しては具合が悪い」と基礎や伝統を踏まえた変革を説く。ちょっと踏み出しての努力、精進を説く。
 お釈迦さまは、あらゆるものすべてが変化する。変化しないものは無いと教える。確かにそうだ、その通りだと誰もが思う。人間も生を受けた以上、毎日変化しながら死に向かっている。人の成長すらも死へのアプローチであるともいえる。
 しかし、我々は自分の日々の変化を認めながらも、変化しないことを望む。出来れば年を取りたくない。老いたくないと思うし、昨日と今日は同じだと考える方が楽である。何といっても変化はエネルギーを必要とするし、疲れる。故に敢えて変化を望まない。変化することを知りながら変化を望まないのが人間だ。
 変化を望まない? しかし、やっぱり無理がある。どうみても一日一日、いや一秒一秒変化している。変化を望まないことは現実との歪みを生む。
 とするならばやはり変化するしかないのだ。でも一歩大股で踏み出す変化についていく自信はないし、とてもできないと考える。しかし片足踏み出す位のちょっとした変化ならなんとかついて行けそうだ。ちょっとしたエネルギーならなんとかできそうだ。そしてさらにそれを継続するちょっとしたエネルギー。何事も諦めず、地道に努力、継続すること。世の中の大幅な変革や発明も考えてみれば、少しの変化の積み重ねの結果だ。我々は結果のみの判断で大幅な変革にはついていけないと思う。そうではなさそうだ。日々の精進継続だ。
戻る    ホーム
三歩で忘れる
平成17年1月号・297号 
 新年あけましておめでとうございます。酉年の本年。皆様にはより良き年になるようご祈念申し上げます。
 さて酉と鳥は違うのか?調べてみると、酉は十二支の第十番目にあたり、動物では鶏が充てられ、方位では西、時刻では午後五時から午後七時までの間をいう。そして、酉は酒を盛る器の象形文字で、酒の意味にも用いられ、成るとか老いるの意味があるが、本来鶏とは何の関係もない。
 古くは一年の始まりを冬至に置き、十番目の酉の月はいまの九月末から十月の頃。新穀が収獲されて新酒が醸される月を表わす。すなわち、十月は古くから酒の月。いまでも十月は新穀が実る月であり、酒造りの始まる月である。
 こうした歴史を受けて、酒造家の中では十月一日を「酒造元旦」として祝う風習が残っているところもある。ちなみにこの月の一日は「日本酒の日」と定められた。そうか、酉年とは酒年であるのかと、なんか少しうれしくなるような、こじつけが始まりそうな年である。
 一方、鶏は『三歩で忘れる』などと、お馬鹿さんの代表のように不名誉な言われ方をされているが、鶏は、世界中で予言の動物とされている。ギリシャ神話では人間が知ることの出来ない未来のことも予知できると書かれているし、日本では神のお告げを知らせる使いと信じられ、神社の入り口に止まり木の鳥居があるのは実はそのためだ。
 また、考えてみれば近年まで、人々は闇を畏れていた。不吉な夜の終わりを告げる鶏は、たいへん縁起の良い、夜明けを告げる「長鳴鳥」として、神聖な鳥とされたのだ。鳥の鳴き声で暗い闇から朝を迎える。即ち鳥は良い方向への変化を表す。
 我々は昨日と今日は変わりないと考えるが、確実に毎日変化している。常に変化するから未来に希望が持てる。毎日の変化の中で今日も自分がここに存在する。
 だから、我々はこうして毎日生活できることへの感謝を特に忘れてはならない。
 しかし、三歩で忘れるのは鶏ばかりか?隣の部屋に行き、はて、何をしに来たのかと三歩で忘れてしう。んーんこれも変化。 
戻る    ホーム
当たり前のことにこそ感謝
平成16年12月号・296号 
 今年は台風の当たり年であった。十月九日には台風二十二号、十月二十日には二十三号と日本を縦断し多大な被害を与えた。日蓮宗でもこの甚大な被害をもたらした自然災害に対し義援金を準備していたその矢先、今度は新潟県中越地震である。何時同じ状況になってもおかしくない静岡県人にとってはとても他人事に思えない。
 余震が続く中、全国からボランティアが集まり復旧作業。そして支援金と復旧援助体制には力強さを感じた。しかし、電気、ガス、水道のライフラインが切れた生活は、テレビを見るにつけ困難を極め、同情以上のものを感じた。
 百年前の人からみれば、本当に考えれないような便利な生活をごく当たり前にしている現代。衣食住に困らず、蛇口をひねれば水が出る。スイッチを押せば明かりがつき、火もおこる。毎日こうした生活をしていると、昔は風呂一つとってもこんな便利ではなかったと心の片隅で思いつつ、いつの間にかすっかり慣れきってしまい、これが当たり前、普通の生活だと誰もが思いこんでしまう。
 震災や台風は、皮肉にもそれが如何に特別なことであるかを教えてくれた。神戸の震災の時も、一番困ったのはトイレであったと聞く。水、電気が止まった状態でトイレは使えない。神戸という都会、土の出た土地がたくさんあるわけではない。穴を掘っても限界がある。しかしトイレは毎日のこと。
 電気、水道、ガスと便利なものに慣れきってしまうと、その便利さはいつもあるものと錯覚してしまう。当たり前であることが如何に有り難く、有ることが難しいか。容易に水が出て明かりがつく尊さを改めて考えさせられた。
 翻って、我々の命もそうである。自分は何十年も生きてきた。昨日も生きていた。今日も生きている。だから明日も生きている。一ヶ月先も一年先も生きているだろうと当たり前に考える。しかし、よくよく考えてみよう。こうして毎日生きていることこそ有り難く、有ることが難しいのだ。身の回りの当たり前をもう一度見直してみよう。本当に有り難いものが見てくる。                   
戻る    ホーム
妙な展開
平成16年11月号・295号 
 昨年の十一月号で池上のお会式を紹介した。ところで今年の大慶寺のお会式は妙な展開になっている。地元の宗伝寺様は数十年前から協力を頂いているが、ここ数年は、沼津市の蓮窓寺様、昌原寺様、法華寺様にも協力を頂いている。特に沼津の各寺院は貸切バスでの参加でご苦労をおかけしている。
 当然、大慶寺のお会式に参加してもらうのであるから、こちらからも沼津各寺院のお会式にここ数年参加している。今年は十月九日が蓮窓寺様。十月二十日が昌原寺様。十一月十三日が法華寺様と三回出向く。
 しかし、今年は妙な展開だ。十月九日は台風二十二号が静岡を直撃。そして二十日も台風二十三号が静岡を直撃。いずれも蓮窓寺様、昌原寺様のお会式にぶつかった。そのため万燈、まとい行列は急遽、蓮窓寺様が十日に、昌原寺様が二十三日に変更になった。当然直前の変更であるから、行列参加者の再確認やバス、弁当の再手配でてんてこ舞い。それにしてもこう見事に当たると、「二度あることは三度ある」という言葉が浮かぶ。
 そう、もしかして十一月三日も・・・。
一抹の不安である。しかし、そんなことより直前の変更にもかかわらず、自費で、時間を割いて参加してくれる壮年会中心としたメンバーには本当に頭が下がる。
 十一月三日もただ単に沼津の人たちが大慶寺に来るわけではない。大慶寺から十月に二回、十一月に一回、沼津各寺院に参詣するから大慶寺にも来てくれるのである。
 おかげで、三日の夜の行列は歩行者天国になった旧東海道を大慶寺、宗伝寺、蓮窓寺、昌原寺、法華寺、粋華、地元上伝馬等々で総勢二五〇名を越える。
総代世話人を始めとする檀信徒の皆さん、立正壮年会、地元上伝馬商店街、まとい同好会「粋華」等の皆さんの協力があって成り立つのが大慶寺のお会式(延年講・酉の市)である。
 それにつけても準備片づけには多くの力がいる。十月三十一日の日曜日は準備、当日は行列参加、食事準備等、十一月四日は片づけがある。皆さんには一人でも多くご参加、ご協力を頂ければ幸いである。                
戻る    ホーム
きっかけ
平成16年10月号・294号 
 しなくてはいけないと思っていてもなかなかできないことがある。そのうちにと思っていると、あっという間に月日が経ってしまう。下手をすれば何年もだ。
 部屋の片隅に置かれたまったく使わない荷物。きっかけがないと片づけられない。古い雑誌もそのまま積んでないか?これも片づかない。きっと、一つきっかけがあれば片づくと思うのだが・・・。
 さて、過日突然に江戸時代の藤枝宿と田中城の話をしてくれと頼まれた。寺に田中城関係の資料が多数あり、客殿が田沼意次の御殿を移築したものである等々の理由で白羽の矢が立ったのであろう。
 実は今までずっとこうした依頼、全部院首さんにお願いしていた。いつものような依頼である。「はい、わかりました。それでは担当の院首さんに言っておきます」といつもならこれで済むわけであるが、今回は院首さんではなく住職からの話がほしいとの返事。
 これは正直困った。しかし、心の隅でいずれやらなければならないこと、まだ時間もあるし勉強すればなんとかなるかと一瞬考え、うかつにもこの話を受けてしまったのだ。
 しかし、日が近づくにつれ焦ってきた。ほったらかしにも出来ない。不勉強では集まった人に迷惑をかけるし、自分も恥ずかしい。そこでようやく本を山積みしての勉強が始まった。これがきっかけか。
 元々の性分からして、歴史を勉強し出すと深みにはまるタイプ。一つの疑問が別のことを調べ出し、また別の疑問がさらに他のことを調べ出す。言ってみれば泥縄式の勉強であったが、付け焼き刃の感は免れないもののなんとか格好はつけた。
 今回外部からの強制で始まったが、このままではいけない、いずれやらなければという気持ちが心のどこかに残っていれば、一つのきっかけでなんとかできるものだ。 今はできなくてもいつかはできると思い続けること、そう、思い続けることが必要なのだろう。今は出来なくてもいいのだ。いつか必ず出来る日がくるのだ。
 さあ、部屋の隅の荷物、古い本を今日片づけよう。                     
戻る    ホーム
待てよそんなのんきな
平成16年9月号・293号 
 八月は施餓鬼会、盆経と続き十五日までは追われるような日が続く。施餓鬼会の塔婆書きは直前ではとても間に合わないので六月に入るとその準備を始める。さらに今年は甲子園の野球で静岡代表ががんばり、さらにオリンピックが始まり、なにかと毎日がワクワクするまた騒々しい月でもあった。
 さて、第一期の境内整備も八月七日の夕方遅く終了し、八日の施餓鬼会にぎりぎり間に合った。施餓鬼会で来寺した方は一様に「いままでと同じようだが、なんか違う。こんなに駐車場が広かったか」と思うようである。さて、何処がどのように変わったかというと説明できない方が多かった。
 見慣れた光景の一部が変わっても意外とわからない。我々人間の脳はそれほど細かいところまでの違いを認識する能力ないようだ。
 七月末に高校の同級生十数人が久しぶりに集まった。こんなとき、見た目の変化をお互い言い合う。数年ぶりにあって指摘されるとそんなものかと改めて自分自身の変化を認識させられる。毎日の細かい変化の積み重ねが今の自分であるが、そうした細かい変化はほとんど気が付かない。
 お釈迦さまは、全て物は絶えず変化するという。変化しない物はこの世にないと教える。そしてその変化も一瞬一瞬の内に次から次へと変化を繰り返すという。
 確かにその通りである。しかし、実際は自分自身を始めとして回りの人や物の一刻一刻の変化をその都度認識することはほとんど不可能である。確かに変化しているのであるが、我々の目、そして脳はそれを把握できない。人間の認識能力はそんなものである。そんな人間が物事を色々と考えるのであるから、正直危なっかしい。
 さて、そこで、もし人がその刻々の変化を全て認識できたらどうなるか?
 結論から言うと、我々の毎日の生活、人生観、世界観は明らかに変わるはずだ。昨日の自分と今日の自分は明らかに、こことあそこが違うと認識できたら、待てよこんなのんきな事はしていられない。そうだこれは今日の内にしなければならないと考えるであろう。                   
戻る    ホーム
半分はどこ?
平成16年8月号・292号
  町に出ても、病院行っても、運転してても長寿社会を特に実感する昨今。そんな折り、厚生労働省から平成十五年簡易生命表が発表された。平均寿命が女性が八十五才、男性が七十八才で昨年より若干延びたというが毎年のことでもう驚かない。それよりも興味をひいたのは、「寿命中位数」という言葉。その年に生まれた者のうちの半数が生存すると期待される年数を指すのだそうだ。
 具体的にいうと、平成十五年に生まれた人の「寿命中位数」は女性が八十八才、男性が八十一才。すなわち、平成十五年生まれの人のうち、男性では八十一才になったとき半数になるという恐るべき数字。へーそんな元気なんだ。八十才過ぎて半分が生存している。うーんすごい。
 そうなると必然、自分の生まれた年はどうかと気になる。ちなみに昭和二十二年生まれの人は女性六十四才、男性五十九才。残念ながらそれ以前の生まれのデータはないのでわからない。昭和三十年生まれは女性が七十四才、男性が六十九才。昭和五十年は女性が八十才、男性が七十五才といった具合。
 すなわち、昭和二十二年生まれの人は、女性が六十四才、男性が五十九才の時に人数が半分になるという。昭和二十二年生まれの人は今年五十七才になるので、男性の生存率はほぼ五十%になる。うそー。もう半分の人が亡くなっている。そんな高い割合で亡くなっているのだ。
 誰も自分の人生はいつも順調に進むと考える人は少ない。半々のクジ引きでも悪い方を引きそうだと思う。極端に自分を卑下する訳でもないが、あまり自分を誇張するのも恥ずかしい。
 そんな自分が五十%の生存の方に入っているということはどんな意味があるのだろうか?今自分が生きていることにもっと感謝すると同時に、もっと意味づけをしてもいいのではないか。少なくとも先にいった同年配に恥ずかしくない生活を心がけたいものだ。
 この世に自分の生を受けた不思議。そしてこうして今日も生きている不思議に感謝し、今日できることは今日しよう。                   
戻る    ホーム
谷口一族
平成16年7月号・291号 
 今年に入り境内整備を進めているが、こうした機会、昔のことを調べる良いチャンスでもある。昔からあるもので、将来にも受け継がれなければいけないもの、またその逆に、往時はそれなりに意義があったが、時代の変遷と共にその役目を終えたもの。撤去すべきか、残すべきか判断に迷う時がある。そのために往時のことを調べる必要に迫られる。
 さて、今回無縁墓地を整理するに際し、無縁墓地中央にある題目塔を調べた。塔身二m、幅四十五pの塔。力強いお題目が彫られている。直感的にもただものではない塔である。
 この題目塔の左脇に、「施主谷口法悦」という記銘がある。この谷口家というのは、今から三百年以上も昔の元禄時代の一家である。そしてこの谷口一族は西は姫路、大阪京都から、滋賀三重、静岡山梨、東京に至るまで、旧東海道沿い中心に、多くの題目を建立してきた。東京旧刑場跡である品川の鈴ケ森と、荒川の小塚原にも在るという。
 さらに身延山に残した足跡も現在三つ。一つは信徒研修道場前に立つ題目塔、二つめは大本堂から奥の院への道の大黒堂に、三つ目は妙石坊・高座石横にある。ただ、これは小生もまだこの目で確認してない。 今から三百年前、この大きい石塔を建てるためにどのように彫り、運び、建立したのか、一つでも大変なのに十余年ほどの間に、広い地域に亘ってよくできたものと感服する。その信仰と、財力と努力の大きさはどのようなものであったのであろうか。
残念ながらその辺りは全く不明である。
 ただ、谷口法悦という人が中心で、両親と兄弟が参加してこの事蹟を残したのである。なんらかの題目塔建立の主旨はあったはずであろうが知るところではない。
 今回はこの題目塔の縁起を皆さんに紹介し、私たちの毎日の信心の励みにもなればと念願する次第である。
 もちろん、言うまでもなく、寺ではこの谷口法悦建立の題目塔を残し、新しい無縁墓の中央に再安置し、後世に伝えていく予定である。 どうぞ、皆さんも来寺の折この題目塔、無縁の霊位にお参り頂きたい。               
戻る    ホーム
雨を晴れに変える
平成16年6月号・290号
 雨の日を晴れに変えることができるはずがないと固く信じていた。天気は様々な要素が複雑に絡み合い刻々と変化する。予報士を以てしても明日の天気を正確に予想することができないのが現状だ。
 しかしだ。天気を変えてしまった人がいる。驚いた。
 それがロシアのプーチン大統領である。
先月九日、ロシアの対ドイツ戦勝記念日。モスクワは「曇り時々雨」の天気が予想されたため、ロシア空軍機が雲の上から「特別な薬品」をまいて晴天を作り出し、プーチン大統領らが臨席する軍事パレードに間に合わせた。「薬品」のおかげでモスクワでは同日夕方まで晴れが続いた。夜になると効き目も薄れたのか、多くの市民が詰め掛けた赤の広場での祝賀コンサートは大雨に見舞われたそうだ。
 ロシア空軍の報道官は、イリューシン十八などの軍用機二十機が九日早朝に飛び立ち、任務を遂行したと語った。もし雨雲が近づいたら、(情報によって違うが)炭酸ガスやヨウ化銀などの入った特殊物質を雨雲に向けて発射したり、ドライアイスを撒いたりして、とにかく事前に雨を降らせてしまうという。
 今までも、旧ソ連時代から国家行事が行われるメーデーや戦勝記念日などには同様の方法で人工的に雲を散らして晴天を演出してきたそうだ。
 何。そんなこと全然知らなかった。しかし、世界の一部の人が天気を人工的に変化させることをもしあちこちで始めたら、と考えただけでも恐ろしい。地球の環境、地球そのもののバランスが悪くなるのは明白だ。正直、私事ながら今日晴れてくれたらなあと思う時もある。しかし、そこまで自分の都合に自然を従わせるかと考える。ありえないのが自然だ。
 しかし、現実は知らないところで、信じられないことがあちこち進んでいるのかも知れない。なんといっても人の欲は果てしない。そしてこの欲を満たすことを是とする資本主義には自ずから限界があると雲の合間から見えてきた思いがする。二十一世紀は百年ある。資本主義だけではおかしいぞという新しい価値観を作りたい。    
戻る    ホーム
すわ一大事
平成16年5月号・289号
 四月十八日の未明。寝床でサイレンの音聞いていた。そのうち、ピピッ、プーと訳のわからぬ音が部屋の中で鳴った。何の音だ?。寝ぼけた頭で火事かなあと思いながらいると、段々とサイレンの音が大きくなり、これ以上大きくならないだろうというところで止まった。「まさか」と思いながらもぼーっとしていると、今度は外で人の声。聞き耳をたてると「うわあ!あそこだ。あそこだ」という声。 
 はっと我に帰り飛び起きた。電気をつけたがつかない。あわてて窓を開けると本堂の屋根が真っ赤である。「お寺かも知れない。もし本堂だったら大変だ。」大慌てで、真っ暗の中、階段を駆け下り境内に飛び出した。そのわずか数十秒間、今日の法事は何時に終わったか?確かに火は消したか?果ては火災保険いくらに入っていたか?などと、あれやこれやと頭の中を駆けめぐった。
 境内に出た。お墓の向こうから火柱が上がっていた。既に近所の人がお寺の方が燃えていると心配して出てきてくれていた。本堂からの出火でないので一安心。それにつけてもすごい火柱である。火の粉も舞い上がり、辺り一面異様な光景となった。その内火柱が益々大きくなり、火の粉も本堂に降りかかろうかの勢いである。「この風向きなら大丈夫だよと」と近所人が言ってくれた。
 境内は門から裏門に、裏門から門に抜ける人でにぎやかである。出火元は豆腐屋さん。家人はよく働く人である。その横の横、檀家さんが二軒続く。心配で様子を見に行った。豆腐屋さんとその回りの家はすっかり燃えてしまったが、檀家さんの家は大丈夫そうである。これまた安心した。
 世の中、刻々、一秒一秒、全ての物が変化している。そんなこと百も承知で、どうなっても全てを受け入れることを一応理解しているものの、この狼狽ぶりである。今さらながら修行不足である。全焼半焼のご近所には本当に災難であっとご同情申し上げる次第。
 ところで、部屋で鳴った変な音は、電気が切れるとき鳴る電話等の音であると後で聞いた。         
戻る    ホーム
冠から葬へ
平成16年4月号・288号
 最近の結婚式は仲人をたてず、結婚式場を使わない場合が多い。そのあおりか、高齢化社会の中で、結婚式場は葬儀会場にと模様替えしている。冠婚葬祭業界の生き残り方策の結果なのであろう。
 藤枝市内でも会館で営む葬儀が増え、会館内の細かい段取り等で葬祭業者の出番が増えてきた。しかし、時々戸惑うことがある。正直、寺が戸惑っては困るのだが。
 寺葬、会館葬に限らないが、入口に「○○家告別式会場」の看板。これはまったく変である。先日葬儀社に尋ねてみた。
「告別式と葬儀の違いを知っている?」
「違うんですか・・・」
 全然考えないでこの言葉を使っているようである。間違った使い方を続けるといつのまにかそれが正しくなる。それが怖い。
 日蓮宗では法華経の教えに則り、読経、お題目を唱え、引導し霊位をお釈迦様のみもとの霊山浄土へお送りする儀式が葬儀。それに対し別れを告げる式が告別式。
「これからの大慶寺の葬儀の時は、告別式だけの看板はやめて欲しい。葬儀・告別式ならいいけども」
 もともと告別式という言葉は、明治時代の自由民権運動の指導者でもあった中江兆民が、明治三四年に亡くなった時、その葬儀を行うにあたり、無宗教の葬式をするについて「葬儀」という呼び方は適切でないということから、新造語として「告別式」という言葉を用いたのが始まりである。
 従って、仏式で行う場合は葬儀が本義である。ただ、現実的には一般会葬者にとっては個人に別れを告げる式との側面を持つので、葬儀・告別式が現実的だ。葬儀社の言葉の間違い、宗旨への理解不足は意外と多いのである。
 さらに、新聞に死亡記事を載せる場合。これも文面に「永眠致しました」の言葉。「仏教では永眠しては困るんだよ。これから御釈迦さまの下で修行を積むんだから。逝去、他界という言葉を使って下さい」と業者にいうと、
「これも決まり文句になっていたので気にしませんでした。説明を聞けば確かにそうですね」と変に感心された。よしよしと思ったが、相変わらず新聞は永眠である。                   
戻る    ホーム
境内整備を開始
平成16年3月号・287号
 「どうしちゃったの?」とお墓参り、護持会費納入等で来寺された人に聞かれる。 「実は・・・」と説明を始める。境内がすっかり様変わりしているためだ。
 一月中旬、位牌堂外壁の塗り替えに始まり、境内の槙、ソテツ等の移動、大慶寺歴代上人墓地の移転、桜木の除去、そして直径一m程の楠の根除去等と工事が続いた。順番に境内整備進めた結果がこの状況で、今が一番境内が雑然としている時で、正直、どうなってるのと本当に聞きたくなるのも宜なるかなである。
 事の発端は墓地内の松である。この松、年々大きくなり、ついには横の歴代墓地を松の根っこが持ち上げ、歴代墓地が前方に傾いてしまい、このまま放置できない状況となった。久遠の松が大きすぎるので、墓地の松は意外と目につかない存在であるが、よくよく見ると、この松もやたら太くて大きい松である。
 また一方、大慶寺は車の出入りが不便であるとよく聞く。通りから大慶寺の境内に車を入れ、中が一杯であると、今度は通りまでバックで戻らなければならない。また、境内には松の枝を支える支柱があちこちに立っていているので、運転しにくいと感じる方が多いようだ。この二つが発端で境内再配置が始まった。歴代墓地移転、駐車場の拡張、さらに境内左側の墓地内に水屋建設、三光堂門の移動、浄行堂、弁天堂の移動、大慶寺外壁工事等とこれから続いていく。この工事を行う中で、三光堂横に墓地のある四軒の檀家さんには特にご理解を頂いた。四軒の墓地を境内左手の墓地へ移動することに快諾頂いた。心から御礼申し上げる次第である。
 これらの工事が終了すれば、景観を損なわず、十台位は余裕をもって駐車できるようになり、墓地内の水屋はお墓参りを容易にさせることになる。そして、これらの工事の終了を待って、永代墓を建設する。時代の変化、少子化等で年々永代供養に関する相談件数が増えてきている。これに対応するためである。
 お彼岸の墓参りのころにはだいぶ整備されてきていることと思うが、来寺の折り、驚かないことをお願いする訳である。        
戻る    ホーム
誰だって赤面して生きている
平成16年2月号・286号
 人間は年に関係なく、若くても年を取っても過ちを犯すものだ。その意味ではサル年というわけではないが、過ちを思い出しては、誰にも言わないで、しょっちゅう秘かに赤面している。
 若い時は若気のいたりで許される場合もある。しかし、年を重ねるにしたがって赤面する以外なにもない。やっかいなのは物忘れ、うっかり、ど忘れが年々増えていくことで、人生経験豊富だから、そうそう過ちは犯さないと考えがちだが、いやいやよく考えてみるとそうではない。きっと死ぬまで赤面して生きていくのだと思う。そもそも世の中で過ちを犯したことがない人などいない。誰も今まで犯した過ちをできることなら思い出したくないが、思い出しては赤面している。これが普通だろう。
 とするならば、重大な過ちの場合は別として、日常生活のなかでの過ちは、お互い許し合わないとどうにもならない。それが円満の秘訣であろうか。それではお互い何でも許し合えばいいのかというとそうもいかない。何でもOKならば、過ちだらけになってしまい、日常生活が成り立たない。 許し合うそこには条件が必要だ。それはサル同様に赤面すること、反省することである。これは、この世の中で生きていく上で大切なことの一つ、もしかしたら一番大切なことかもしれない。
 中にはどうしても許し難い過ちがあるかもしれない。しかし、この場合もきっと相手は何回となく赤面しているに違いない。万が一その人が赤面しないような人だとしたら、その人はまともな人じゃない。とするならば、まともでない人のことを許さないと考えるのは止めた方がいい。まともでない人のことをまともに考えたってしょうがないからだ。先ず自分が赤面しながら生きていくことを心がけたい。
 とこんなことを考えていたら、同じようなことを向井万起男さんがエッセイで述べていた。誰だその人と思うかもしれない。慶応大学医学部助教授で宇宙飛行士向井千秋さんの旦那といえばおわかりだと思う。そう、ひげのおじさんである。千秋さんが有名すぎるので「千秋さんの旦那」という紹介になる失礼である。                 
戻る    ホーム
三猿・四猿・五猿
平成16年1月号・285号
 新年おめでとうございます。本年も良い年になりますよう祈念申し上げます。
 さて、今年はサル年。サルですぐに頭に浮かぶのが三サルである。有名なのが日光東照宮の神厩舎。「見ざる・言わざる・聞かざる」の彫刻で有名だ。サルは馬を病気から守ると言われ、室町時代まではサルを馬屋で飼う習慣があったという。そんな訳で馬小屋にサルが飾られているそうだ。
 三サルの戒めは、社会に不合理や不正があっても泣き寝入りしておく方が身のため、「長いものには巻かれろ」、「臭いものにフタ」、「もの言えば唇さむし秋の風」と言った感じで、庶民の権力肯定性向を育てたものの一つと一般には考えられている。
 しかし、実はそうではないのだ。この日光の目・口・耳をふさぐ三サルは、幼年期のサルで、子供のころは悪い事を見たり、言ったり、聞いたりしないで素直なままに育ちなさいという子供の育て方を示しているのである。
 そして、この三サルをさらに発展させると四サル。そして五サルもあるという。なるほど、このあたりが後から足していくのが上手な日本人らしい。四サルというと、見ざる、聞かざる、言わざるのほか、あと一匹はどんな姿なのだろうか?そのサルは下腹部、それもちょうど股のところを抑えている。これは「見せざる」らしい。さらにもう一匹加わると五猿=ごえん=ご縁。または五猿=ござる=お客が御座るの語呂合わせで、商売繁盛にあやかっったものなど様々な形がある。一般的には五サルといえば四サル以外にもう一匹サルがいるわけで、その恰好はというと、腹のへその当たりを手で抑えている。これは腹を見せざるらしい。
「ソレ 目 ミダリニ 見レバ スナワチ淫シ、耳 ミダリニ 聴ケバ スナワチ 惑イ、口 ミダリニ 言エバ スナワチ 乱ル」と紀元前2世紀末の中国の教養書、淮南子(エナンジ)にある。
 これらの猿を良い意味で考えれば、必要なことを見て、聞いて、言って、見せて、正直に、ということになる。また、「汝は愚かなるサルの一種。奢れることなく我を見つめよ」ともある。今年の肝要か。
戻る    ホーム
そうだ死に際だ
平成15年12月号・284号
 その人が亡くなったのは昨年の暮れ。十二月二十七日であった。
 二十七日朝、静岡刑務所から電話。二十七日死亡、二十八日葬儀、その後火葬との連絡である。刑務所も寺も年末で忙しい時だがこの事態である。二八日朝早速刑務所に出かけた。
 日蓮宗で葬儀を出してほしいとの本人の意志である。年はなんと八十過ぎ、亡くなってすぐ身内に連絡すると誰一人としてお骨の引き取り手がなかった。それでは困ると職員の説得でやっと、一人参列し遺骨を引き取ることになった。
 葬儀は小生とその身内一人。それではあまりに寂しいと刑務所職員数名が参列。狭い部屋であったが、心を込めてお経、お題目を唱えて法号を授与し霊位を霊山浄土に送り、その後火葬場に向かった。火葬場で読経後、年末のせわしい時である。直ぐに車で藤枝に帰って来た。
 年末で人や車が多く行き交う道。ちまたでは正月の準備で忙しい時。一方では家族、親戚、友人、知人誰にも見送られることなく、刑務所の片隅で刑に服している最中、八十過ぎの生涯を閉じたこの老人。この人の一生は何だったのだろうかと妙な虚脱感に襲われた。
 果たして本人は自分の生き方に納得していたのだろうか。亡くなる瞬間、心にどんな事が去来したのだろうか。何を考え、何をしたくて一生を送ってきたのか。様々な思いが駆けめぐった。こんな人生もあるんだなあと改めて考えさせられた。
 さて、翻って自分はどうだろう。ふと外を見れば人々の忙しそうな姿が見える。人それぞれ生きているのである。その生き様はどうだろう。忙しさの中に、自分の納得できる生き方を埋没させてはいないか。自分で自分を甘やかしていないか。あれやこれやと考えた。
 そうだ、死に際に自分の人生に自分なりに納得して死ねることが大切だ。そうであるなら、生きている今を一生懸命生きることが大切だと当たり前すぎることに気が付いた。来年はきっといいことがあると、自分なりの精進を誓った昨年の暮。まだまだ懺悔しきりである。
                   
戻る    ホーム
池上のお会式
平成15年11月号・283号
  今年もお会式の時期になった。寺で一番忙しい期間である。九月末に総代世話人会を開催し、お会式の詳細を検討。十月に入ると準備、会合、他寺のお会式参詣で忙しい日が続く。今年は沼津三ケ寺(蓮窓寺、昌原寺、日法華寺)のお会式に参加し行列する。そのためここ数年出かけていた東京池上本門寺のお会式は取りやめとした。
 日蓮聖人は十月十三日早朝に池上でお亡くなりになった。前夜の十二日は池上界隈は百を超える万灯まとい行列と参詣者で一杯となる。夕方の六時頃より始まる行列は夜遅くまで続く。
 大慶寺が参詣する時は、午後一時にバスで出発。四時半頃に池上に到着。所定の位置にバスを止め、提灯、まとい、太鼓を降ろして出発の準備、着替えを済ませ早めの夕食を取る。六時半過ぎ、池上駅近くの徳持会館を出発。池上駅前を通り本門寺を目指す。既にこの段階で池上駅周辺は大勢の人である。その後進むに連れて更に万燈講、参詣者が増える。例年機動隊も出動し人の波の整理に当たる。参詣者はこの状況では、十メートルも離れるともう人がわからなくなる。初めて参拝する人は要注意である。参道の階段を昇り本門寺大堂(本堂)に到着するのが夜の八時半頃。その後、大坊(日蓮聖人お亡くなりなった場所)に寄って徳持会館に帰ってきて大体九時半頃。それから着替えも早々に藤枝を目指す。藤枝到着は早くて午前一時頃。折角だから泊まって来たらというが、翌日仕事の人が多いので何としても帰ってくるのである。
 十年程前、大田区の北糀谷の人たち(大慶寺太鼓の師匠)と一緒に行列したら、なんと十一時過ぎに大堂に到着。藤枝に帰ってきたら午前三時を過ぎていた。さすがにこれには閉口。東京の人と一緒にやるのは止めようと誰も言わなかったが、その後一緒にやったことはないところを見ると、大体同じようなことを考えているようである。
 いずれにしても池上のお会式は日蓮宗のエネルギーを感じる時でもある。檀信徒の皆さんには一生の内に一度は十月十二日の夜、池上本門寺を参詣することをお勧めする。但し、くれぐれも迷子にならないようご注意頂きたい。
戻る    ホーム
雨が多くて困り事。一つは解決したが
平成15年10月号・282号
 高圧洗浄機という便利なものが、先日の清掃奉仕で大活躍であった。今年は一月から雨が多く、その影響か六月、七月には本堂の畳にカビが生え、本堂回りの基礎や玄関先等にコケがつき困っていた。特に本堂前の石段と「久遠の松」の前の宝塔にコケがつき、なんとかならないものかと思案していた。何回かたわしで擦ってささやかな抵抗を試みたが、一生懸命擦って疲れる割にはきれいにならない。このコケ何とかならないかと清掃奉仕の時にみんなに相談した。
 それが高圧洗浄機である。ちょっと家から持って来ると行って、軽トラックに乗せて持って来てくれた。正直、水を勢いよく吹き付けただけでこびりついたコケが落ちるかと半信半疑であったが、見事に水圧できれいになるのである。たわしで擦ったささやかな無駄な努力を充分忘れさせる程、見事にきれいになるのである。
 なるほど道具だなあと感じた。寺だけではこうはいかない。考えもつかないし、道具もない。大勢の人が集まった時の知恵である。おかげで、本堂前の石段と「久遠の松」の前の宝塔がきれいになった。
 今年、もう一つ雨のため予定通り行かないことがある。それは池の整備である。
 例年冬場は雨が少なく池は干上がるので、この時に数十年ぶりに池の掃除をして、池の整備進めようと考えていた。しかしながら今年は一回も干上がらない。
 すでに役員さんの協力を頂いて、池の横に十五メートルくらいパイプを打ち込み、地下水がポンプで吸い上がられるようになっている。タイマーもセットしてある。後は一日に二、三回程度定期的にポンプを回すだけである。さらに檀家さんから鯉を譲って頂ける話しも頂いている。池が干上がりさえすれば進む計画が、この調子では今冬に期待するしかないであろう。
 考えてみれば今年は雨で難儀した。八月盆の大雨、秋の彼岸は台風。雨に振り回される年である。
 残り少なくなった今年。願わくば十一月三日のお会式は晴天でいてくれ、冬には池が干上がり、来年春には池で鯉が泳ぐようになれば有り難いのだが。
戻る    ホーム
も う 貸 さ な い
平成15年9月号・281号
 七月上旬、客殿を八月十日の午後に貸して欲しいとある団体より申し出があった。 盆間近の忙しい日である。少々ためらいもあったが、以前から寺を開放するのはいいことだと考えてきたので、まあなんとかなるだろうと思い快諾した。但し、当日は盆前で忙しいので、場所を貸すだけだということを念押しした。
 そしてしばらくするとまたやって来て、自分たちの会に入ってくれという。忙しくてそれどこではないと断ると、またしばらくして電話をかけてきた。奥さんがいるかと言う。何ですかというと、住職がだめなら奥さんに入ってほしいと言う。このころから少し変だと感じた。「住職が忙しければ、奥さんも忙しいに決まっているではないか」と断った。
 七月十三日、七月盆の棚経から夕方帰ってくると、相手の忙しさも考えず、まして事前の連絡もなく、下見をさせてくれとやって来てた。当日は障子を外していいから始まり、様々な注文をつけて帰った。やっぱ変だ。
 当日のチラシが手に入った。「午後一時、大慶寺住職の話とお宝拝見」とある。そんな話し聞いていない。それに当日の午後は出かけていないと言ってあるはずなのに。相手の承諾を得ずに勝手に決めたことに正直憤りを感じたが、とりあえず院首さんに、挨拶と大慶寺の歴史の話をお願いした。お宝拝見は忙しい時である。止めにした。
 当日、その会が始まり院首さんの話が間もなく終わろうとする時、今度は横から時間だからもうやめてくれと言う。失礼千万な話だ。超過しても一分、二分ではないか。さらに言葉にならないのは、院首さんの話を途中で止めるほど時間にうるさかったのに、会が終了したのは予定時間を三十分以上もオーバーしていた。それで平気な顔をしている。
 自分たちは立派なことをやっているという態度で、相手の忙しさ、都合も考えずわがもの顔で振る舞う団体に、文化などという言葉を語る資格はあるのだろうか。この団体がどういう団体かは、ケーブルテレビが取材に来ていたので、その内放送されるかも知れない。
戻る    ホーム
心を込めて盆飾りをしましょう
平成15年8月号・280号
 たばこをやめて十ヶ月を過ぎた。九月で丸一年となる。興味津々で見ていた方も多いと思うが、昨年の九月八日以来、お陰様で一本も吸っていない。
 さて、たばこをやめて一つ困ったことがある。頭の中から「灰皿」という言葉が抜けてしまったからか、来客があっても灰皿を出すのを忘れてしまうのである。喫煙者にとって灰皿がないのはなんとも居づらいと思う。吸っている当時は、灰皿をいつも捜していた自分であるが、こうも人が変わるのかと驚いている。
 さて、八月は盆月である。ここ二、三年、盆飾りはどうしたらいいかという相談をよく受ける。これは葬祭業者がこれもあれも必要だと、特に初盆のお宅に勧めているのが原因のようだ。正直、年々派手になってくる盆飾りを見ていると、いくら商売とはいえ、これは正直間違っていると思う。
 お寺では、それぞれの家の事情、環境に合わせ出来る範囲で飾ればいいですよと説明している。盆飾りの基本は感謝の気持ち以てご先祖を迎えることである。この感謝の心無しで形だけ飾っても意味が無い。また、先祖にはいつも感謝しているから、敢えて何も飾らなくてもいいという方も稀にいる。しかし、これもよくない。
 日常生活の様々な場面で、心を込めるという言葉を使う。形には表現されないが、実は心の中ではそう思っているという言い方である。しかし、大半はよく自分の心の奥底を見つめてみると、言い訳になっている場合が多い。
 形があれば心があるのではない。心があれば一つの形を作れる。形を作り上げることを通して、実は我々の心は磨かれていくのだ。心のおもむくままの人は自分勝手な、怠惰な方向に向かう。人間には我欲があるからこれはしょうがない。だからこそ何かをする行為を通して心を表現することが大事なのである。すばらしい絵画や音楽に我々が感動するのは、作者の心が迫ってくるからだろう。飛躍するが盆飾りもしかり。
 おもむくままは、灰皿を出すことすら忘れてしまう人になる。人は行うこと、言い換えれば修行をしていないと忘れ物が多くなるのである。心を込めて飾りましょう。
戻る    ホーム
小僧さんの郵便受け
平成15年7月号・280号
 「かわいいですねえ」と言って玄関に入って来る方がある。玄関横に小僧さんの郵便受けが設置された。これは総代の相澤博さんから奉納されたものである。全長一m弱。よくいらっしゃいましたと、今にも出迎えそうな小僧さんが玄関横に鎮座まします。
 この小僧さん、ちょうどいい高さでもあり、よく頭を撫でられている。小僧さんには申し訳ないが、頭も撫でても賢くなるとは思われない。それでもこのままでいけば、一年後には頭も黒光りしてくるだろうと考えたりしている。よくお香の煙を体に受けたり、お像の体をさすったりして、願い事をかけることはある。頭を撫でることはそうしたちょっとした願い事の延長線であろうか。
 仏教の教えで、願うことは非常に重要である。意外と気が付かないが、我々の生活は願うことの連続である。一つのことを行うときにはああしたい、こうしたいという願いがあって、そのあと行動を起こす。ただ、こうした毎日の願いは欲のおもむくままに願うので、仏様の前の願いとは違う。
 願いは誓いでもある。仏さまの前で願うことは、自分自身への誓いでもある。願いは誓いとなり、誓いはそれを実現させるための日々行動の原動力とならなければならない。自分自身がその願いのために精進努力を重ねれば、そこに仏さまの慈悲が働く。精進努力無しの願いに仏様の慈悲を期待するのは無理がある。そして言うまでもなく、仏さまの前で願っても恥ずかしくないことを願うのが肝要である。
 ただ、仏様の前で願うだけで全てが叶うのであれば、だれも精進努力はしない。そして、そのことは誰もが十分承知しているのであるが、ついつい願うことだけで終わることも多いのも事実だ。少なくとも精進努力無くして事が叶うことはないと肝に銘じるべきである。それゆえ、仏教でいう修行の意義があるのだ。
 この小僧さんの柔和な顔とは別に、願うことの大切さ、自分自身に厳しく誓うことの大切さ、そして精進努力することの大切さを忘れないようにしたい。寺の玄関に入るときそんなことを思い出して頂きたい。
戻る    ホーム
伝統って変わるもの
平成15年6月・278号
 一昨年の夏、本堂にイスを備えた。置くか置かないかで随分と悩んだが、結果として概ね檀家さんには好評である。時代の変化と共に正座できる人が少なくなった。特に最近では、お年寄りの人が座れなくなった。そんな結果の対応である。時代と共に寺も少しずつ変わって行く。
 さて、宗門でも平成十四年の立教開宗七五〇年に合わせ、法要作法等の見直しを進めてきた。そして、先月新しい法要式が全国の寺院に配られた。
 早速、読んでみると今までの方法と違う箇所がある。これからしばらく様々な説明会や法要研修会を通じて、この新しい法要式が徹底されていくことになる。よって檀信徒の皆さんにも、今までのやり方と違うことを言うかも知れないが、ご理解を頂きたい。
 法要の作法は伝統的なものであるから、変わるとおかしいと考える方がいるかも知れない。たしかに伝統とは、時代時代の先人たちの英知が集約されたもので、その一つ一つの動作には深い意味づけがなされ、それを学び守っていく。これが伝統を受け継ぐということである。
 さて、それではその伝統は過去においてすでに完全に完成されたものであるかというと、それも決してそうではない。それぞれの時代にこれが必要、これが大切であるというものを選び取り、積み重ねたものであるが、決して完成されたものではない。
 とするならば伝統を守るとは、過去から受け継いだものをただ守るのではなく、受け継いだものをより完成に近づける作業をいうのであろう。
 そうした意味では、今回の見直しは大変意義深いことである。ややもすると、ただ伝わったものを守るのが伝統だとつい当たり前に考えてしまう我々に刺激を与えてくれた。伝統という言葉の真意を問いただせたことは大いに意義がある。
 守ることが伝統ではない。受け継いだもに新に息吹を吹き込み、より完成されたものしていくこと、伝統を守るとは変化することでもある。そう、留まることはあり得ない。昨日、今日、明日と絶えず変化している。仏様の言葉である。
戻る    ホーム
伝統って変わるもの
平成15年5月・277号
 三月二十日早朝イラク開戦の日、新聞は挙ってこの記事を掲載したが、実はこの日、これと並んで重大な記事があった。戦争の影響で扱いは小さかったが、実に五十六年ぶりに、中央教育審議会(中教審)が教育基本法全面改正の答申を遠山文部科学省に提出したのである。個人的には何で改正されないのだと常々考えていたことでもあり、「国造りは人作り」という考え方からも戦争同様にこの記事に注目した。
 その中で特に注目したのが、宗教教育の扱いである。昨年十一月の中間報告で保留とした「宗教的情操の涵養」が焦点となったが、結局は法規定の提言は見送られた。これは少し残念である。しかし、「宗教への寛容」などを定めた現行法に「宗教に関する知識の尊重」が追加された。これは逆に一定の進歩と考えたい。
「宗教的情操の涵養」は、公立学校で取り上げることへの異論が強く、重要性は認められたが、法規定は求めなかったとの解説があった。
 戦後定められた教育基本法は戦前の国家至上主義の反省、また、天皇制復古反対の立場をとり制定された。その中で天皇制復古反対の立場は、結果として宗教教育の排除と形を変え、憲法で「信教の自由」を認めながら、公的機関では一切宗教に触れることができないという奇妙な制度が出来上がってしまった。そうした現状の中での今回の答申であったが、宗教の必要性が認められた点は評価に値する。
要は以前より公的機関で宗教教育ができそうな雰囲気になったということである。もちろん誤解のないように言っておくが、この場合の宗教教育は、特定宗教団体の教育ではなく、宗教という言葉の定義や、宗教の存在を説明する教育のことである。
 しかし、ここに一つの問題がある。宗教的情操を育む正しい宗教知識を教える先生が、実はこの基本的宗教教育、知識、素養を学ぶことなく先生になった場合が多いのである。そしてその結果、現実的にはそうした先生が生徒に一方的宗教観を語る場合が往々にあるのだ。立派な先生も多いだけに、今後この問題のクリアが必要とされるのであろう。
戻る    ホーム
足 下 か ら
平成15年4月・276号
  今年の春彼岸入りは十八日。この一週間を特に仏教では彼の岸(仏の世界)に渡るための精進の期間と定めている。
 しかし、奇しくもこの日、アメリカがイラクのフセイン体制に最後通告を突きつけた。漠然と戦争が始まるかも知れないと考えていたが、いざこれが現実となると否応なしに今一度考えさせられる。しかし、ここで今さら平和の重要性を言うつもりはない。
 今回の一連の情報からイラクだけではなく日本、朝鮮半島、中国等のアジアの安定を考えると、今さらながら日本はアメリカに守られている国であることを再認識させられた。テポドンが東京を狙ったら、それ程精巧でもないから、静岡県あたりに来るかもしれないとノー天気なことを考えていた自分が恥ずかしくなる。
 経済大国日本といっても、今の状況は大国アメリカに軍事力で守られているだけで小さい子供が親に守られているのと同じ状況だ。正直その子供が平和だ、武装解除だと騒いでもなんか空しい感じがする。少なくともアメリカという親がいなければ、今の日本の平和はないというのは認めたくないけれど事実である。日本は世界の大国、先進国等と我々が肩肘張ってもなんか所詮子供の言い分なのかも知れない。
 それでは今自分に何ができるといっても、正直、毎日の生活に追われ、与えられた時間と環境の中でしか生きていけない私達に何ができようか。どちらといえば、自己嫌悪に陥る。
 その中で我々のできることの一つは祈ることであろう。仏壇の前で手を合わせ、戦争終結、平和を祈ることを始めたい。そしてもう一つは、我々の毎日の生活の中で、自分が回りの人に何ができるかを考え実践することである。直接イラク問題と関わらないが、その積み重ねが平和へと繋がっていくのである。
 いたずらに平和論、戦争論を唱えるより、毎日の生活のなかで自分が回りの人に何ができるかを問い直してみよう。自分にできることはたくさんある。空しい議論のふっかけあいは平和ぼけそのものである。足下から始めよう。
戻る    ホーム
メンバーがいいですか
平成15年3月・275号
 法話箋の原稿締め切りは、通常前月の二十日である。二月十七日から二十二日までハワイ団体参拝があるので、三月号は出発前に仕上げることになった。
 既に案内済みであるこのハワイ団参は、大慶寺先々代の天妙院日雷上人開山のマウイ島プーネネ教会参拝を第一の目的としている。実際、日本の寺とハワイの寺では随分と様子が違う。その違いは檀信徒を指す言葉でもわかる。日本では檀家というが、ハワイではメンバーという。檀家よりその寺に所属しているという雰囲気があり、寺を支える一人という意味合いがより強い。
 一般的に欧米人に対し、日本人は自分を無宗教だと思っている人が多い。しかし、その割には元旦に初詣、彼岸や盆には墓参り、自宅には仏壇や神棚があったりする。葬式に坊さんを呼ぶならどう見てもこれは無宗教ではない。しかし、これを日本人は無宗教という。これはなぜか?
 東京大学養老孟司名誉教授はこれを、日本人の宗教に対する無神経に由来すると述べている。さらに、戦後以来、宗教をタブーとして公教育から外してきたことに由来すると述べている。大切な幼児、青春期に宗教についてほとんど考える機会が与えられない。これが無神経に繋がると述べている。さらに核家族が進み、習慣、伝統の継承が充分になされないまま育つこともその原因の一つである。
 断っておくが小生は国家主義者でも戦争賛成論者でない。その上で言うのであるが、アメリカ主導で作られた戦後の日本国憲法には多くの間違いがあると思っている。特に宗教の取り扱いはアメリカの意向が憲法に反映され、国が直接宗教に関与することを禁止した。そのため公的教育では一切触れることができなくなった。宗教自体を憲法で保障しながら、その保障された宗教について教育できないという矛盾がある。養老名誉教授の指摘に思わず納得してしまうのである。
 カルト、怪しげな宗教に似せた団体、宗教に全く無知な若者がいとも簡単にだまされていく。家庭のなかでの宗教教育ばかりでなく、一宗一派に偏らない広義の宗教教育は公教育でも必要なのである。
戻る    ホーム
個々の気持ちが出発点であるが
平成15年2月・274号
 葬儀や法事という宗教儀式では、威儀を正し、厳粛な気持ちで臨むのが当たり前であるが、まれに騒がしい時がある。何のために自分がその場にいるのかを忘れ、回りの迷惑を顧みず、私語を交わす人の気持ちは正直測りかねる。そして意外にも若者より年配者に多いのはどうしたことか?
子供や孫に学校では先生の話を聞いて一生懸命勉強しなさいと言っている人々だけに滑稽にすらなる。
 この騒々しさはなんだ。何とかならないかという場面に遭遇する時がある。そんな折々、うまい方法はないものかと思案していたら、先日テレビでその問題を取り上げていたと家人が教えてくれた。人づての話である。
 法要中、前に座っている人の靴下に穴が空いていた。それを見た後ろの数人がおかしくて笑って、法要を台無しにしてしまった。住職はカンカンであった。これが罪になるかという話である。結果は有罪でちゃんとそれを取り締まる刑法があるという。そんな法律があるのかと調べたら、ちゃんとあった。宗教感情に関する罪刑法で「説教等妨害罪」というのだそうだ。最近でもこんな事件が本当にあった。
 四国の高松北警察署は、平成十四年二月二十四日午後、高松市内の葬儀社で執り行われた葬儀会場で、大声を出すなどの気勢を示して葬儀会場を混乱させた事件で、三月五日(火)、被疑者を説教等妨害罪及び威力業務妨害罪で逮捕した。
 うーむ。そんな法律があったのだ。全然知らなかった。あまりに騒がしいときは、この法律のことを後のお説教で話をするのも良いかも知れない。まあ、それでも法律があるから、静かにするというのは寂しい限りである。自分の心持ちでその場に参列したのだから、静かに祈るのが当然のはずである。しかし時折井戸端会議風に思いこんでしまう人がいるのもまた事実だ。たまに会う人同士だからわからないでもない。
 法要に臨む心構えとして、日常から非日常の空間に入るという気持ちの切り替えが必要である。人生の様々な場面でこの切り替えのできない人は、案外人生すらもだらだらとさせてしまう場合が多い。
戻る    ホーム
羊年ならば
平成15年1月・273号
 平成になってもう十五年かと改めて感じる平成十五年。羊年である。
 漢字の羊という字は、羊の角と体を示している。中国では角のある動物は霊生があると尊重されている。また、羊は人間との関わりが古く、犬についで家畜化され、性格がおとなしく群れて生活する。
 そのためか、羊の字を使った漢字、例えば祥だとか美だとかは概ねいい意味、肯定的な意味で使われている。とするならば今年はそんな年になることを期待せずにはいられない。
 また、一方「羊の歩み」ということわざは、次第に死期が近づいていることを意味し、一般的には悪い意味で使われるが、人間誰しも生まれた瞬間から死期が近づくのであるからそんな悪い意味ばかりで考えなくていいだろう。成長するに従って、言い換えれば死期が近づくに従って、人間性の深みが増し、仏さまに一歩、二歩と近づいていくのだから、決してこれも悪くはないであろう。
 生きることだけを肯定する考え方では死はいやなものであろうが、誰にも死は避けて通れない。ならば羊年の今年はその言葉どおり死をも肯定的にとらえたい。これは欲にとらわれず全てを肯定する仏様の生き方にも通じるものである。
 さて、今年は眠れない夜が幾夜あるだろう。うれしくて眠れない、悲しくて眠れない、痛くて眠れない。そんな時、垣根を飛び越える羊を数えると眠れると言う。皆さんも何回かは今までに試したことがあるのではないか。私も数えたことがあるが、五百数十匹まで数えてさすがにばからしくなった記憶がある。正直、羊を数えて安眠できたとはあまり聞いたことがない。本当に眠れるのか?
 一説では英語でシープ(ひつじ)とスリープ(寝る)が似ているところからこの話しが生まれたと言う。「シープ」と「スリープ」は確かに似ているかもしれないが、日本語で「ひつじ」と「寝る」は全然似ていない。
 そうか、それで合点がいく。日本人はいくら数えても眠れないわけである。きっとアメリカ人なら安眠できるのだろう。
戻る    ホーム
先々代開教の地へ
平成14年12月・272号
 本年も終わろうとしている。今年は立教開宗七五〇年、大慶寺開創七五〇年、そして記念事業で慌ただしい日が続いた。
 そして、実はもう一つ。十四年はハワイ開教一〇〇周年の年でもある。ここでハワイを取り上げなければならないのは、大慶寺の先々代大場日雷上人(小生の祖父)がどうしてもはずせないからである。ちなみに日雷上人はハワイのマウイ島に初めて日蓮宗の寺院、プーネネ教会を設立した人である。
 ハワイ開教は一九〇二年に九州出身の高木行運上人がハワイ島にカパパラ日蓮宗教会堂を設立したのに始まる。すなわち、今年で一〇〇周年。その後、一九一七年(大正六年)に日雷上人が十五日間の船旅の後ハワイのオワフ島に渡る。翌年の一九一八年一月十八日、うちわ太鼓一本を持ってマウイ島に単身で渡り、一九二〇年にワイルクに仮布教所を設立。その後、現地の製糖会社事務長のウイリアム・マッゲロー氏の協力を得て、一九二二年十一月十一日にプーネネ教会を設立。今年で八〇周年になる。日雷上人はその後ハワイ在住七年、一九二四年に帰国し大慶寺住職となる。祖父の後日談では自分は生涯マウイ島に居たかったようである。いずれにしてもハワイ開教一〇〇周年、そしてマウイ島開教八〇周年に今年なる。
 マウイ島のプーネネ教会は空港から約十分の住宅地にあるが(以前はサトウキビ畑の中)、観光地とは離れているため、日本からの観光客が訪れることは希である。観光のついでに訪問というのも困難であり、こうした機会でないとお参りすることはないであろう。ちなみに先々代の骨はプーネネ教会に分骨され、現在納骨堂に安置されている。
 こうした機会、静岡県中部宗務所ではハワイ団参の旅を来年の二月十七日から二十二日で計画。(月〜土、四泊六日)プーネネ教会、ハワイ別院等を参拝する。費用は二十万二千円。
 詳細問い合わせは大慶寺まで。添乗員同行、全日空利用、各種オプショナルツアーもある。お一人はもちろん、ご夫婦、ご家族で是非ご参加頂きたい。
戻る    ホーム
やめました
平成14年11月・271号
 今年もあと二ヶ月となった。今月三日は大慶寺年間最大行事の「お会式・延年講・酉の市」が営まれる。九月の落慶式終了後、すぐにお会式の準備に入った。役員会、青年会、地元上伝馬商店街、市役所等と会合を開き、また、その合間をぬって、十月九日には沼津蓮窓寺お会式に二十五名、十月十二日には東京池上本門寺お会式に三十六名で参加し、忙しい日が続いている。
 また、これとは別に福引きの会合や当日の行列の会合等で毎日が追われている。おかげさまで、皆さんのご協力を頂き準備は順調に進んでいる。昨年は雨にたたられたが、今年は何とか晴天で迎えたいものである。
 さて先月号で、書き残したこと。
 人は願を掛ける時、好きな物や特定の物を願が叶うまで断つ場合がある。例えば期日を決めて、何日までお茶を飲まないようにするとか。
 今回小生も当初、記念事業が終了するまで何かを断とうと考えていた。その中で考えた物がたばこである。しかし、これも考えてみると記念事業が終了したらまた吸い始めるわけで、これでは何にもならない。
 願いことを成就するために、何かを断ち成就を願うことは必要であるが、反面それが叶ったらもう断つのをやめるというのもそのときだけのような感じもする。
 そこで自分なりに、出来上がった後、完成した恩に報じるため、この先ずっとやめようと秘かに考えていた。九月六日にたばこ二箱を買い、最後の一本は全てが終了した七日の夜の十時頃である。翌日の九月八日より禁煙を始め、今日までなんとか順調に進んでいる。もう一月半が経とうとしてる。
 こんな状態になってはじめて皆さんにお知らせするわけで、何とも頼りないことである。何だかんだと言いながら、やめることに絶対の自信がなかったため、様子を見ての報告である。
 正直途中で吸いたくなることも何度かあったが、皆さんのご協力の恩に報じるためと考えると自然に耐えることができた。今後も続くと思うが、心変わりしてもし吸っていたら、ご叱責を乞う次第である。 
戻る    ホーム
無事終了す
平成14年10月・270号
 心配した天気もなんとか持ちこたえ、九月七日、無事記念事業落慶式を終了することができた。ひとえに檀信徒皆様には深く御礼申し上げる次第である。
 落慶式を間近に控えた日、ある檀家さんから葉書を頂いた。きれいな字で落慶式を迎えるお祝いとともに、餅投げ中止を求めるものでもあった。
 法要に参列する人は高齢者が多いから、餅投げは危険である。高齢者は拾えなくて関係のない人が拾うことになるという内容であった。この檀家さんの心遣いに感謝申し上げるのと同時に、餅投げに関し説明不足であったと反省。
 というのは、寺では高齢者や体の不自由な方のために餅を別に確保し、餅投げ終了後分ける予定でいた。そうした準備をお知らせしなかったので、葉書の檀家さんには余計な心配をさせてしまった。
 また、寺、役員は、こうした落慶式の機会にはお年寄りだけでなく、子供さんやお孫さんにも参加していただきたいと思って投げ餅を計画した。「子供の頃お寺でお餅を拾った」というような経験をしてもらいたかったのである。寺はお年寄りが行くところという感覚ではなく、寺は色々な年代の人が集まって来ていいところである。こうした機会には子供からご年配の方までお出で頂きたいと思った訳である。
 おかげさまで、餅も充分あり、さらに愛知県の山内貞夫様から両口屋是清製の二人静を二〇〇袋ご寄付頂き、投げ餅はたくさんの方に楽しまれながら終了した。この葉書を頂いた檀家さんにご心配をお掛けしたことをお詫びすると共に、混乱もなく餅投げが終了、全参拝者に事前に紅白のお餅を一つずつお配りしたことを報告する次第である。
 さてほっとする間もなく、今度はお会式である。十月九日は沼津市蓮窓寺お会式参加、十二日は東京池上本門寺お会式参加と続く。
 うーん。お会式が終わったら本格的にほっとしようか。
 最後に今回の落慶式に関し、書こうか書くまいか悩んだことがある。それは来月号に譲ることにしようと思う。
戻る    ホーム
おかげさまで落慶式
平成14年9月・269号
 平成十一年春より開始した記念事業が、皆さんのご理解ご協力を頂き、九月七日落慶式を迎える。丸三年に及ぶ工事が終了するわけである。その間、各種の業者が入り、ここはどうする、あそこはどうする等で、正直、工事が完了しほっとしているところである。業者の皆さんにもご理解を頂き、予想以上に立派なものが出来上がった。心より御礼申し上げる次第。おかげで小生、瓦、建物に関し多くのことを学ぶことができた。
 寺の本堂や客殿は一般住宅と違い、数十年で建て替えるわけにはいかない。百年単位で耐えうる建物が要求される。補修もまた同様である。そのためにはしっかりした材料と技術を必要とする。費用はかかるが百年単位で考えれば決して高くはない。前の住職、檀家は何をしていたのだと後世言われることもなさそうだ。
 趣意書発送が十一年の春。工事開始が、平成十一年十一月十一日という大変覚えやすい日であった。本堂、鐘楼堂屋根替え、新客殿、内トイレ、台所、そして境内整備で外トイレ、大型倉庫を建設した。
 本堂の屋根替え工事は平成十三年の夏に終了。工事中は、突然の雨漏りで大慌てしたのが思い出される。特に三州の特注瓦を使用し谷部分、向拝部分も瓦で葺くことができたことは喜びであると同時に、長い年月耐えうるものになった。また、同時に地震対策として本堂外回りの漆喰壁には鉄板をはめ込み、筋交い以上の強度を持たせ、さらに地震保険にも加入した。
 新客殿は、山口県の防府市の毛利邸(毛利元就の復元屋敷)をモデルにして建設。二間「真の床の間」で逆勝手の書院作り。屋根は入母屋、照り破風。部屋は十二畳二間。蟻壁、格天井(小組)。壁と床の間は和紙を張り、漆縁で押さえた。廊下は欅無垢。トイレ、物入れの戸は杉の一枚板。障子戸には神代杉を使用。
 新客殿を見た檀家さんから、「この客殿は何時使うのか」と問われたが、通常の法事、葬儀に利用していく予定である。但し汚れ防止のため禁煙とする予定。喫煙家には少々辛いが、ご協力をお願いする次第である。但し喫煙所は別に確保予定。
戻る    ホーム
下手になった人が多い
平成14年8月・268号
 今年の七月は時季はずれの台風がやってきて、七月盆の前後はひやひやした。七月十三日の朝、例年通り七月盆の棚経に伺った。折りからの大雨、雷も鳴っている。車を降りると一瞬のうちに濡れてしまった。今日一日どうなるかと気が重くなった。しかし、午前中にはほとんど雨も上がり、なんとか予定通り棚経を終了した。
 さて、皆さんご存知のように、寺では法事の時イスを使うようになった。時代が高齢化社会になり、元気であるが、足腰が弱い方が増えてきたのを踏まえ対応した処置である。本堂のイスは概ね好評である。ただ寺としてはイスに座っても、厳粛な気持ちを保ち、無駄話を無いように願うだけである。
 八月は十一日より初盆、棚経を回るが、棚経に伺ったときも、無理に正座される方がいるが、足腰、膝の痛い人は無理に正座されなくても構わない。寺から坊さんが来たので正座しなければという気持ちだけで充分。
 正座の困難の方が無理に座るより、こうした機会である。お孫さんがいる家庭は是非お孫さんを一緒に座らせてもらいたい。但し、この場合お孫さんには正座をお願いしたい。
 家庭教育という言葉ばかりが先行し、その実、家庭での教育力が衰えて来ているといわれる。また、目先の損得だけを考えて生きることが正しいと考える社会の一面もある。
 それゆえ、お盆という先祖を敬う行事に、家中の人が座り、この絶好の機会を家庭教育の場として活用して頂きたいと思う。
 普段、言葉だけで言うより、お盆の棚を作り、そこへ坊さんが来てお経をあげる。
その後、子供、孫に命のつながり、命の尊さを説明すれば、普段以上の印象を植え付けることができるし、自然と家中で命の尊さや、自分の命の不思議について話をすることができる。
 考えるに、家庭教育自体が衰えたのではないだろう。年中行事を通して、これらの行事の裏付けとなっている様々な教えや考え方を活用することが下手になった人が多くなってきているだけなのだ。

戻る    ホーム
相田みつを美術館に行く
平成14年7月・267号
 東京に所用があって出かけた。ついでに前から一回行ってみようと思っていた相田みつを美術館を訪れた。相田みつを氏は書家でもあり詩人でもある。既に亡くなられたが本や遺品は多い。その独特の書体とわかりやすい詩で今でも人気がある。
「つまずいたっていいじゃない。人間だもの」
「一番わかっているようで一番わからぬこの自分」
「批判はしたけれど自分にできるだろうか」等々がある。
 場所は銀座のど真ん中、銀座東芝ビルの五階。美術館と銀座の組み合わせ。期待はずれの心配をだきながら、有楽町の駅を降り、地図を片手に人混みの中に入った。意外とわかりやすかった。エレベーターで五階に着くとすぐ受付である。落ち着いた雰囲気で予想に反し人も多い。それほど広い空間ではないが、見て回るには充分だ。一時間ほどかけてゆっくりと回った。一つの作品が出来上がるまでの作業の様子、一字一字の選び方の苦労を語るパネル。部屋中に広がる失敗作の写真。なるほど、人の心を打つ詩や書体はそう簡単には生まれないのだなあとつくづく感じた。
 同じ詩で書いた年代の違う作品が展示してあった。一つは三〇代、もうひとつは亡くなる前に書かれたもの。そのときの作者の心が書体、作品の雰囲気に表れていた。全てが心から始まるというお釈迦さまの言葉を再認識させられた。
 相田みつを氏の経歴の大きなパネルがあった。大正十三年栃木県生まれ。昭和五十九年「にんげんだもの」出版。平成三年逝去。享年六十七歳。ふむふむ。うん待てよ。享年六十七歳。これはないよ。
 享年という言葉は、天から受けた年という意味で、最近辞書でも歳をつける表記があるが、本来は数字の下に歳をつけないのが本義。テレビなどでもテレビ局により歳をつける局とつけない局がある。
 言葉の吟味に苦労した作者の心情を察するに、氏の作品を守っていく者にも同等とまではいかなくても言葉の吟味が要求される。美術館も最新の注意をおねがいしたいとアンケートに答えて銀座を後にした。
戻る    ホーム
一部経読誦
平成14年6月・266号
 立教開宗七五〇年の日、四月二十八日は、いつものと同じ朝をむかえた。千葉県の清澄山では、早朝の暁天法要が営まれ、太平洋に昇る旭に向かいお題目を唱えたと聞いた。
 大慶寺では、今年の九月七日に立教開宗七五〇年記念法要、記念事業の落慶式を予定しているので、あえて正当の二十八日は特別なことをしなかった。
 この日はめずらしく、お年忌も無かったので、数日前から計画していたことがあった。この二十八日は、法華経一部経を読誦しようと。
 法華経一部経というと、法華経の一部の経と思うかも知れないが、そうではない。わかりやすく言うと法華経全部ということである。法華経は序品第一から始まり、方便品第二と続き、最後が普賢菩薩勧発品第二十八。非常に長いお経である。この一から二十八までのお経は通常のお経本だと八巻に別れている。大慶寺では朝のおつとめのとき、その一巻の半分ずつを目安に毎日読んでいる。その中でも二の巻き、三の巻きは長いので二日で読むのが難しい日もある。それでも二日で一巻と計算すると、十六日で八巻全部を読むことになる。約十六日かかるのを一日で読む訳である。
 当日の朝、「妙法蓮華経序品第一」と読み始めた。丁寧に読み進め、一時間から一時間半で休憩を五分入れた。夜までかかると思っていたが、午後四時半には「妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八」に入った。声もかれるだろうと思ったが、意外や声は大丈夫で右手が痛くなった。これは木しょうを叩き続けたからである。
 お経を読み終え、心よりお題目を唱え、世界平和、寺門興隆、記念事業成就、檀信徒家内安全をご回向、祈願し、二十八日を終了した。
 これだけ長い時間お経を読んだのは何年ぶりだろう。正直少しの充足感が生まれたが、ただそれだけではだめであろう。これからの毎日に読誦、唱題の精神を生かしていくことの方が重要であり、日々自分ができる精一杯を努めていこうと誓った訳である。それでも、立教開宗八〇〇年のことは考えないようにしようと思う。
戻る    ホーム
屋根に松が・・・
平成14年5月・265号
 いよいよ春本番。街角に花が咲き始め、いかにも春らしくなって来た。檀家さんで、日頃から花を丹精している方々がいて、季節に応じて花を持って来てくれる。そうした花を玄関や庫裡に飾り参拝者に楽しんで頂いている。今も玄関にはこぼれんばかりの花をつけたツツジがある。
 「よく、手入れをしていますね」と良く言われる。寺で丹精して育てたわけではないので、この言葉は実に恥ずかしい限りである。寺では花を毎日管理をしているだけで、慰労の言葉は手入れし育てた檀家さんに送らなけらればならない。
 ずっと前、檀家さんが久遠の松の子を育て上げてくれた。松は種から育てるのが難しく、素人では無理だと言われている。久遠の松の子も年々大きくなったが、残念ながらその育てていた人が亡くなり、その松五十本程を亡くなられた方や家族の意向もあり檀家さんにお分けした。その一本が寺にもあり、順調に育っている。久遠の松の子であるのか、その成長は早く年々大きく太くなっていく。
 先々月、三光堂の雨漏りがあった。幸い記念事業の工事に塚本屋根工事が入っていたので、ついでに修理をお願いした。早速、三光堂の屋根に登り修理を始めた。しばらくすると「カメラ、カメラ」と叫ぶ。何事かとあわててカメラを渡した。「いやあびっくりした。こんなの初めてだ」と言って三光堂から降りてきた。その手には二十センチくらいの松の苗木があった。
 育てるのが難しい松が、どういうわけか三光堂の屋根に芽生え育ったようである。残念ながら、雨の少ない日が続いたので枯れてしまった。最初からわかっていれば、大事に育てたのであるが、よもや三光堂の屋根に久遠の松の子があるとは思わない。
 事実は小説より奇なりというが実にびっくりした訳である。
 花や松を見るにつけ、命の不思議さ、諸々の縁の集合離散の結果には驚く。通常では考えられないが、時として、縁の集合離散は予想を超えた結果を生み出す。因があり縁を通して一つの結果を得る。人間しかり、万物はすべてこれの繰り返し。確かに仏は居まし、我々にそれを教えている。
戻る    ホーム
基準を変えてみよう
平成14年4月号・264号
 残さずに食べろと言ったって、現代では通用しない。そんなことに腹立たしく思っている人に次の文章を紹介する。昨年、世界中で注目されたもので「もし世界が百人の村だったら」という話である。
 この話は現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を百人の村に縮小して考えたらどうなるかと言うことを数字を使い非常にわかりやすく表現したもので、今の世界を把握できる。
 たとえば百人の内
・アジア人は五十七人、ヨーロッパ人が二十一人、南北アメリカ人が十四人、アフリカ人が八人。
・七十人が有色人種で三十人が白人。
・六人が全世界の富の五十九%を所有し、みなアメリカ国籍。
・八十人が標準以下の居住環境に住む。
・五十人が栄養失調。
・一人だけが大学教育を受けることができる。
 我々の当たり前の生活が、全世界を基準にして考えると、どんなに恵まれているかよくわかる。数字は時に客観的な事実を正直に示してくれる。
 そしてさらにこんなことも書いている。「もしあなたが戦いの危険や飢えを一度も経験したことがないのなら、それは世界の五億の人よりも恵まれている。」
「もし着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら、あなたは世界の七十五%の人より裕福で恵まれている」
 我々は自分のおかれている環境を基準に考える。すなわち、家に住み、好きな物を食べて、おしゃれな服を着て生活することが当たり前という基準から考える。それより良ければプラス、悪ければマイナスである。しかしその基準を世界におけば、前述のように我々の今の考え方が偏ったものであることがわかる。
 大切なことは、基準を変えれば現実世界が変わらなくても、私たちの価値観が変わることだ。そして価値観が変われば、何が幸せであるかも変わってくる。
 当然だと思っていることが当然ではなく、実は世界ではかなり恵まれているということを自覚したい。
戻る    ホーム
バリアフリーはほど遠い
平成14年3月号・263号
 東京都の「高齢者の事故と生活・行動調査」によると、高齢者の使いにくい商品のトップは「ビンのフタ」と「プルトップ」だそうだ。さらに、使いにくいので、使わなくなった商品のトップは「ビデオ」。危ないと思い、使用をやめた商品のトップは「石油ストーブ」。それに対し、「商品取り出し口及び押しボタンの位置が高齢者向きの自販機」は、製造コストが十五%アップしたが、売上高が二十%伸びたそうだ。
 東京巣鴨のとげぬき地蔵尊はお年寄りで賑わうので有名だ。この活況の背景には、次のような理由があると報告されている。
@快適に歩きやすい段差のない商店街
A休日のない商店街
B豊富な品揃え、実用商品の重視
C安心感を与える接客
D大きく目立つPOP(広告、ポスター) の効果
D心温まる休憩所サービス
 高齢化社会を迎え、バリアフリーという言葉をよく聞く。お年寄りが普段の生活で困らないよう、家の中の段差をなくそうとの趣旨である。
 寺には高齢者がたくさん来るのだから、寺にもこうした配慮は必要だ。大慶寺では法事の時はイスを使うようにしたくらい。
 しかし、どこのお寺も段差がないどころか、あちこちと階段だらけが実状だ。大慶寺もしかり。
 玄関は段差が二段。それぞれ四十センチある。数年前、手すり付きの段を一段設けたが正直まだまだ不充分である。ちなみに庫裡は地面から六十センチ、本堂は百八十センチの高さがある。
 一般住宅のように数十年で建て替えるなら、段差なしもその都度考えれば可能であろうが、本堂にしても、庫裡にしても建て替えの単位は百年である。古ければ古いなりにその良さがあり、寺としての雰囲気もある。しかし、現代のバリアフリーという視点に立てば、寺の構えほど不具合なものはない。
 高齢化社会を迎え、ご年輩の人が多く集まる寺がこれでいいのかとジレンマに陥るわけである。せめて、安心感を与える対応を心がけたいものである。
戻る    ホーム
新年早々の出来事
平成14年2月号・262号
 夜の十一時半にお経、お題目を唱えた後、除夜の鐘を打ち始める。例年早い人は十時頃に、そして紅白歌合戦が終了すると人がどっとでてくる。あえて宣伝はしていないが、毎年老若男女が大勢やってくる。
 鐘は一〇八と決まっているが、大慶寺の場合は大体その三倍である。というのは、除夜の鐘を始めた年、打ちに来た人が、一〇九番目ということで断られた。その人曰く「新年早々お寺に断られたのでは今年いいことない」と残念そうに帰っていった。 そこで、折角来てくれたのだから、みんなに打ってもらおうと考えたすえ、一回目の一〇八、二回目の一〇八、三回目の一〇八という数え方をするようにした。従って整理券は三〇〇番を越えるまであるのである。
 私は最初に一回打つと三光堂に行き新年ご祈祷を始める。毎年、何時新年になったかわからない。ご祈祷が終わる午前一時過ぎにお堂を出て、青年会の人たちと片づけて、毎年寝るのは午前三時頃。
 この準備は三十一日の午前中に行う。テントを張り、杭を打って順路を作り、鐘にヒモをかける。忙しい中、青年会が準備、運営、片づけを行ってくれる。
 さて、元旦の夕方。鍵を掛けようと鐘楼堂に行ったが鍵が見つからない。さて、準備の時にどこかにいってしまったのか?寺の中、鐘楼堂の中を探したが見つからない。そのうち出てくるさとたかをくくっていたが、十日を過ぎても出てこない。大きな南京錠である。もう一度鐘楼堂の中を丁寧に探した。それでも出てこない。
 十四日、法事の後の墓経。施主のお墓は鐘楼堂から十m位離れた所。墓経が終わり何気なく振り返ると、きらりと光る物が・・・。鍵である。なんと、入口戸の鴨居の上にちょこんと乗っていた。
 人は自分の目線でしか物を探せない。考えてみれば狭い視野の中で足下ばかりを探していた。ちょっと離れて遠目で見ればその在処は明らか。うーん考えさせられた。
 物の見方、考え方もしかり。自分中心の視野でしか見たり考えたりしてないか。遠目から、大局から物を見る。その視点が必要だ。新年仏さまに教えられた訳である。
戻る    ホーム
正 当 年
平成14年1月号・261号
 平成十四年の新春を迎え、本年も宜しくお願い申し上げる次第。
 ここ数年、立教開宗七五〇年と言い続けているので、いつが七五〇年かわからなくなってしまうが、平成十四年が正真正銘の立教開宗七五〇年の正当年。
 一二五三年(建長五年)に日蓮聖人が初めてお題目を唱えられてから、数えて調度七五〇年になる。
 それに先立ち、寺では平成十一年に記念事業を発案、本堂屋根工事を開始。昨年は三月に千葉県清澄寺参拝、六月には静岡中部管区大会、十一月のお会式には、七ヶ寺による万燈、まとい講中の行列、また、十一月十日に新客殿地鎮祭、十二月二十日、晴天の中上棟式を終えた。
 おかげさまで新客殿工事も予定通り順調に進み、九月七日に落慶式を迎える予定である。また、この工事と同時に境内整備を進め、大型納屋、外トイレ工事を行う予定。これら、ひとえに檀信徒みなさんのご協力、ご理解の賜である。どうぞ皆さんも来寺の折り、工事の進み具合をご覧頂きたい。
 新客殿が完成すれば、法事での混乱も減少するであろうし、早く来ても休んで頂ける。実際は八月頃より使えるようになると思う。
 しかし、ここでちょっと心配がある。新客殿が完成すれば、今までの旧客殿(田沼意次公御殿)と新客殿を併用して使うようになる。新客殿は空調設備があり新しい。一方、旧客殿は空調設備はない。
 隣の部屋の人たちはいいなあ。冷房、暖房が効いている。一方は扇風機、すきま風が入る。
 また、折角、新客殿が使えると思ったら、違う部屋に通された等々。
 当然、法事が同じ日に重なれば、どちらかが新客殿、どちらかが旧客殿になる。その点、苦情がでるかもしれない。なるべく均等に使えるように配慮する予定であるが、時によっては不満もでるかもしれない。その点皆さんのご理解を切にお願いする次第である。ただし、こんなことを心配できること自体、ありがたいことであると自覚しないといけないだろう。
戻る    ホーム
新客殿工事始まる。身延参拝は四月に
平成13年12月号・260号
 十一月三日の大慶寺開創七五〇年お会式は天候には恵まれないものの、十を越えるまとい講中のご協力、檀信徒皆さんのご協力、ご理解を頂き、無事盛大に終了することができた。ここに厚く御礼申し上げる次第である。
 その後、片づけ、事務の整理を行うかたわら、十一月十日には、新客殿の地鎮祭を行った。建設委員、業者の出席をお願いし、午前十時より営み、滞りなく終了。十二日より本格的な工事に入った。予定では来年の七月末完成である。現在、トイレを取り壊したので、しばらくの間庫裡のトイレは使えなくなった。トイレ完成までは、玄関横の外トイレを使って頂くことになる。ご不便をおかけするが、ご理解をお願いする次第である。
 さて話は変わるが、今回の身延山初詣は、日を変更して行うことした。去年を除き、毎年一月に身延山初詣に出かけていたが、今回は来年の四月頃に身延山にお参りする予定。その訳は、来年が立教開宗七五〇年正当にあたり、身延山ではお参りする皆さんに立教開宗七五〇年の法要を営むよう勧めているからである。
 特別法要の概略は、旧書院にて委嘱を受け、大本堂に移動して大慶寺参拝団だけで特別法要、大本堂前にて記念撮影、祖師堂に移動してお開帳、ご真骨堂参拝と続く。時間にして二時間半くらいの時間がかかる。参加者にはお札と法主さまの色紙が頂けるようである。
 当初、一月の初詣りの時にと考えていたが、この時期身延山は大変寒い。一月中旬の二時間半の法要は参拝者には辛いものとなることが予想される。
 そこで少し陽気が良くなってきてから、できたら、身延のしだれ桜が咲く頃が理想だが、この時期は身延山は大変混み合うのでその前後に参拝し、立教開宗七五〇年記念と大慶寺記念事業の報告と報恩謝徳の特別法要を営みたいと考えている。
 いずれにしても、大本堂での法要はこの機会以外にないと思われるので、身延のお祖師さんに皆さんと一緒に報恩の誠を捧げてきたいと思う。是非一人でも多くのご参加頂けたらと思う。
戻る    ホーム
今年は特別。是非ご覧下さい。
平成13年11月号・259号
 先月号で大慶寺開創七百五十年記念の万燈行列を今年盛大に行うと紹介した。
 現在、参加講中は東京北糀谷講中四十名沼津蓮窓寺三十名、昌原寺三十名、妙覚寺二十名、法華寺三十名、宗伝寺三十名、大慶寺五十名の寺関係で七講中二百三十名。それに、地元の粋華(上伝馬まとい同好会)、上伝馬商店街、焼津信用金庫、駅南祭り、静岡産業大学、国際友好協会、魅力ある町作り委員会等が参加予定であり、総勢にすると三百人を有に超える数となる。 現在、寺のお会式実行委員会と上伝馬まとい祭り実行委員会と時間、休憩所等円滑に行列が出来るように調整中である。
 例年になく、いやたぶん今後もこれが最大規模の万燈行列となるので、是非皆さんにはご覧頂きたい。行列のメイン時間は七時から八時半。これらの講中が上伝馬通りに集結する。七時に粋華(上伝馬まとい同好会)等が大慶寺に入り、東京が七時半、沼津4ヶ寺が八時から順に入り、八時半に大慶寺講中が寺に到着予定である。
 こんな具合に今年は盛大に執り行うことになったが、それに伴い、準備、裏方が大変である。行列順の調整、行列後の飲食の準備、出迎え、送りと多くの人の力を借りなければとても運営できない。
 ここのところ、上伝馬との会合、お会式実行委員会の役員会、裏方を手伝ってもらう婦人たちの会合等で大忙しである。
 また、それと同時に遅れていた新客殿の着工がお会式を終了してすぐに行う関係でそちらの最終的詰めも行わなければならないし地鎮祭の準備もある。
 普段は庫裡もだいぶ広いと思っているが、このお会式の時はさすがにもっと部屋はなかいかと考えてしまう。
 それでも、おかげさまで順調に進んでいることがとにかく有り難いことである。
 実際、こうした形で寺と地域が協力しあい行事を作って行くことは「有ることが難い」ことであり、今のところ円満に互いを尊重して進んでいる。
有難うという言葉の重みを現在感じているところである。
戻る    ホーム
大慶寺開創七五〇年記念 まとい行列
平成13年10月号・258号
 皆さんには平成十四年が日蓮宗ができて七五〇年になるとお伝えしているが、実は明年はそれだけでなく、大慶寺ができてもちょうど七五〇年になる。
 大慶寺の歴史をひもとくと、大慶寺の一番の基は、鎌倉時代にさかのぼる。藤枝の地で道円、妙円という老夫婦が茶店を営んでいた。日蓮聖人が鎌倉を出て京都比叡山に勉学に行く時、また京都から鎌倉へ帰る途中、藤枝のこの茶店に立ち寄られた。その時に、この老夫婦に法華経を説き、老夫婦は日蓮聖人の教えを信奉し、茶店の裏に法華堂を建立した。これが大慶寺の基になる。これが一二五三年(建長五年)になるので、明年が数えてちょうど七五〇年になる。日蓮聖人が千葉県清澄寺の旭ケ森で、はじめてお題目を唱えられたのも一二五三年であるから、日蓮宗ができて七五〇年の年にもなる。
 そこで、本年のお会式は、明年の七五〇年を記念して盛大に営むことに決定。本年のまとい行列は特別に東京大田区の北糀谷講中、沼津の昌原寺、妙覚寺講中が特別に参加してくれる。また、例年通り、市内宗伝寺、沼津蓮窓寺も勿論参加するので、大慶寺講中も入れて六講中、それに地元のまとい同好会、田沼地区のグループ等が参加し大変賑やかな盛大な行列になる。本年だけの特別な行列になるので、来年見ようと思っても見られないので、皆さんには多数ご参詣下さいますようお願いする次第。
 またそれと同時に若い人の行列参加者を募集している。参加希望者は寺までご連絡を願いたい。
 また、ちょっと話は変わるが、ホームページを作ると以前お知らせしたが、いよいよ大慶寺のホームページを公開した。アドレスは「http://www.enmyozan.org/」
 まだまだ手を加えたいのだが、正直時間がない。工事中の箇所もあるが、暇を見つけて修正して行く予定。今後、こうしたものを載せてもらいたい等の要望はメールにてお知らせ頂ければ随時更新していく。また本年一月よりの法話箋も掲載し、毎月一つずつ増やしていく。お会式のことも載っているのでインターネット接続済みのご家庭は一度覗いて頂きたい。
戻る    ホーム
この時間がないときに
平成13年9月号・257号
 八月十一日の朝七時。お勤めを終わり初盆経の準備、最後の確認をしている時に玄関に人の影。いつもとちょっと違う雰囲気に、少しいやな気持ちを持ちながら玄関に出た。
 案の定、浮浪者だ。「また、こんな忙しい時に来なくても」という気持ち。電車で喧嘩をして、お金を取られたとのこと。この類の言い訳はさんざん聞いている。よくよく見ると前にも来た人である。「まったく」と普段ならここで説教が始まるのだが、なにせ、準備で一分でも時間がほしい。
 「おじさん、楽してお金をもらおうとしちゃいけない。働かなければだめだよ」
境内は昨晩の雨で松葉が落ちている。「一時間千円で境内の掃除をしなさい」と半強制的にほうきを渡し、掃除をさせた。向こうもしょうがないという感じで掃除を始めた。なれない手つきである。十分ほど経ち、どんな具合かと外を見ると、ちょうど檀家さんが、お盆を前にしてお墓参りに来た。どこかの檀家さんが境内を掃除していると思ったのか「ご苦労様です」とそのおじさんに声を掛けた。おじさん、びっくりである。おもらいにきて、感謝の言葉を掛けられるとはゆめゆめ思わなかったであろう。
 声を掛けられてから仕事のピッチが上がり、三十分も過ぎるとやけに気合いが入ってきた。自分の仕事が人に感謝されれば、身が入るのであろう。下手な説教より、檀家さんの一言の方がよっぽど効果がある。予定の一時間が経ち、約束通り、「おじさん、まだ働けるんだから、働けばいいじゃないか」と言いながら千円のアルバイト代を渡した。おじさんは少し恥ずかしそうに受け取り、「俺は終わった人間だ」と言った。
 本当に終わった人なら誰も感謝はしないであろう。掃除をしている姿を見て感謝した人がいるのは少なくとも終わった人ではない。そんなことを少しは感じたのか、おじさんは饒舌になり話し始めた。聞けば岡部の人で、静岡市立高校の野球と藤枝東のサッカーが負けたのでここのところおもしろくないと言う。なーんだテレビも見てくつろいでいるではないか。それにしても、実に平和の中のおもらいさんである。

戻る    ホーム
おかげさまで本堂屋根工事終了しました
平成13年8月号・256号
 大慶寺は何時行っても足場が掛かっているとお思いだろうが、やっと足場も取れた。
 おかげさまで七月十七日、屋根工事が終了した。現在、雨樋を取り付けているが、これが終われば晴れて足場も取れ、本堂全景を見ることができる。
 工事開始が平成十一年十一月十一日(非常に覚えやすい)である。十一年、十二年、十三年と足かけ三年の工事となった。手間暇が掛かっている分、予想以上に立派に葺替えることができた。当初は平成十二年十二月末日完成予定であったから、半年以上の遅れとなった。しかしこの遅れはそれだけ丁寧な工事をしたことの証でもある。特に向拝部分は手を掛けてあり、皆さんにもじっくりと見てもらいたい。残念ながら足場を取ったら屋根を遠くからしか見ることができない。そこで、落慶式の時は足場を組んで向拝部分を皆さんに見てもらえるようにしたいと思っている。
鬼瓦の数は二十四個、棟は築地積という工法、谷の部分は亙で作り、下に銅板を敷いた。
 工事が終了した十七日の午後、塚本屋根屋の職人が境内の参道に正座し、しばし、屋根を見上げていた。工事と言うよりは一つの作品を仕上げ、それを見て満足げに「できたぞ」という達成感に浸っているようでもあった。変なもので、毎日来ていた塚本屋根屋が十八日から来ない。なんとなく現在寂しい訳である。
 寺はこれから施餓鬼、盆と続くが、盆が終了したら、今度は新客殿工事に入る。こちらも基本的設計が決まり、現在詳細を詰めている段階であるが、今の庫裡(田沼意次公御殿)に見劣りしない客殿を作る予定である。山口県防府市にある毛利邸を模した客殿に予算が許す限り近づけたいと考えている。
 みなさんの暖かいご協力を頂き、記念事業工事もおかげさまで順調に進んでいる。 今年の四月、途中経過報告でお知らせしたように修正予算を組んだ浄財寄付も皆さんの暖かいご理解ご協力を頂き順調に納入されている。心より厚く御礼申し上げる次第である。
戻る    ホーム
今日も食べるのだから
平成13年7月号・255号
 今年も半年があっという間に過ぎたが、この間、色々と物騒な事件が相次いで起こった。こう事件が続発すると我々の身の回りでも危険を感じるのが実感だ。
 その中でも、大阪の池田小学校の事件は心を痛めた。寺でも、翌日朝のお勤めで、亡くなられた児童のご回向を申し上げた。 突然の死に対し、早速行政も動きだし、心のケアを計る体制、また学校の移転と動きが速かった。たぶん、子供たちはその教室で授業を受けるのは無理だろうと私なりに考えていたので、この対応の早さには驚きつつ、そうでなくてはいけないと思った訳である。予期もしない突然の死は、家族、友達に計り知れない心の負担を与えた。それと同時に考えたことは、やはり、死の教育は必要なことではないかということである。
 ずっと前にも書いたが、生きると言うことは死ななければならないと言うことでもある。ものを食べなければ人は死んでしまう。だから生きるために物を食べる。何を食べよう、これを食べようと毎日我々は食べ物のことを考えて生活をしている。しかし、やがて必ず死がやってくる。死ぬことがどうしても避けられないことであるなら、死をどのように迎えるか、どんな死に方をすべきか等を食事と同じようにもっと身近に感じ、その時のために様々な角度から死を捉えて見ることが必要ではないか。生活の中で、教育の中でもっと死を考えてみてもいいのではないか。今の時代は生きることだけを主張している社会である。そうした社会こそ変な社会であると考えないといけない。
 池田小事件で亡くなられた児童のお葬式で、参列した同級生、父兄に対し、喪主の父親が「亡くなった子供の分だけ、強く生きてもらいたい」と挨拶したが、この辛い経験をした児童からは決して、たやすく人を殺すような人は出てこないだろうと確信するわけである。人の命の重み、周りの人がどれほど辛い思いをするか学んだことが救いでもある。
 死を身近に感じること、これが命を軽いものとする風潮を乗り越える力になるのではないか。死を遠ざけてはいけない。